Matrix Restart

Written by TOMO
Based on "Matrix" trilogy



<獣>


たしかにおいはノーチラスの生まれさ。おやじはいまでも島で漁師をしてる。じいさんの乗ってた船が最初に<灯台>を見つけたと聞いてるがね。そう、遺棄されたむかしの海上油田プラットフォームさ。そもそもは人間が作ったもんで、あんまりボロでマシンも手をつけずに放っておいたらしいな。海の真ん中だから見通しも効くし、そもそもマシンは潮風を嫌ってめったに海にはやってこない。おまけにまだちょろちょろながら石油が出てたんで、基地にするにはもってこいだったわけさ。

そこをキャンプベースにしてあちこちを調べ、いくつか真水の出る泉のある島をみつけたんだ。さすがに草はしょぼしょぼ程度だったが(それでも生えてるだけで大したもんだ)、ためしに釣りをしてみたら思いのほかかかる。そのうち、沖合の深い所まで届く網を使ってマジに魚を獲れば、そこそこ喰っていけるようになってきた。その話がつたわると、あっちなら漁師になれるってことでけっこうザイオンから移住してきた。それが町の始まりということになるんだろうな。

おい?おいは狩人さ、漁師じゃない。ガキのころはオヤジの手伝いで漁に連れて行かれたが、それが嫌でね。海は嫌いじゃないが、深海の魚のぬるぬるしたところがどうしても気持ち悪くって。年がいったらさっさと家を飛び出して、狩人になったのさ。

ああ、狩人のくらしもぼちぼちってところかな。さっき市場で<獲物>を売ったんで、いまはそこそこ懐はあったかいぜ。そう、おいの獲ったやつさ、わざわざ自分で持ってきたんだ。もちろん、普通は仲買いに売るんだけど、今回はライフルの部品を自分で探したかったんでね。ノーチラスでは、いい部品はなかなか手に入らない。そうなるとやっぱりザイオンくんだりまで出て来ないことにはどうにもならないのさ。

あんた、「狩人」に会うのは初めてかい?まあ、ザイオンあたりじゃ、野生の<獣>もほとんどいないからな。でも、飼いならされた番犬用の<犬>とか掃除の<猿>は見たことあるよな?よく慣れていれば結構かわいげもあって便利なもんだ。細かい芸を仕込む腕のいい調教師はザイオンのほうが多いから、こっちで慣らしたヤツのほうが向こうでも受けがいいんだよ。でも、さすがに<熊>や<象>は見たことないだろ?都会近郊で役に立つもんでもないし。でも、外ではほんとに重宝するから、一匹獲れればほんとに高く売れるんだ。捕まえるのは大変、まったく命がけだけどな。

そうさ、ライフルでしとめるんだ。下手なレーザーなんかで回路を焼き切っちまったんじゃ、ただの鉄くずにしかならない。え?ライフルじゃメカが壊れちまうんじゃないかって?そうか、なんにも知らないんだな。ライフルといってもただの鉛玉を使うわけじゃない。発射機構はふつうの銃と同じ、薬莢に爆楽をつめた銃弾形式なんだが、違いは弾丸さ。超小型のEMP弾をつかうんだよ、中にマイクロバッテリー付きの超小型EMP発生装置が仕込んであるヤツ。そういうと大したもんのように聞こえるかもしれんが、案外に構造が単純で量産もきくんだ。サイズが小さいから回路を焼き切るほどの出力はないが、うまく急所に当てれば、一発で<獣>をダウンさせることができる。

たしかにむかしは、爆弾で粉みじんにするか、EMPで焼き切るしか<獣>に対抗する手段がなかったからな。だが、爆弾じゃあメカもおしゃかだし、EMPも下手に使うと自分の船も死んじまって帰れなくなっちまう。だから<獣>狩りも始めのうちは、本当に小さなただの鉛玉を撃ち込んだり、ナイフで急所を掻き切るなんていう強者もいたんだ。おいの伯父さんなんか、罠でからめた<鹿>をナイフでおとなしくさせる名人だったんだぜ。ま、じいちゃんはネオ戦争でセンチネルとも闘ったらしいから、その辺は血筋かもしれないな。

だが、そうして捕まえた<犬>や<猿>を、単にメカ部品としてリサイクルするだけじゃなく、プログラムを入れ替えて飼いならすことができるようになると、また話がちがってきた。次第にプログラム書き換えに対応できる<獣>のカタログがふえ、やらせられることも多くなってくると、<獣>をできるだけ無傷のまま捕まえるほうが高く売れて得策だってことになってきたんだ。

ところが、鉛玉やナイフじゃ、どうしてもパーツやチップに傷がついたりしちまう。それじゃあ3匹つかまえて、やっと1匹分のパーツを揃えるのが精いっぱいだったから、なんとかしようといろいろ試行錯誤があったようだ。それで結局、いまのEMP弾を使うようになったのさ。発射機構は単純な完全アナログだから、かえって安定していてマシンにも見つかりにくい。EMP弾そのものも大した出力じゃないから、眠らせて生け捕りするにはもってこいだ。

もちろんEMP弾には誘導装置なんぞ付いているわけがないから、できるだけ<獲物>に近付いて正確に急所を撃たなきゃならん。ま、仕掛け次第という面もあるけどな。そもそもが保守用の<猿>は変なものには好奇心旺盛で、放っておいても寄って来るからいいとして、監視用の<犬>は音と臭い、それにモノの動きに敏感なだけだから、風上でじっと待ち伏せしていれば、まあどうにかなる。だが、もっと広い範囲の警戒をする<鹿>はあの大きな角みたいなヤツがセンサーで、かなり遠くても物音にはやたら敏感だし、夜目もきくからなかなか近付くことができないんだ。なにかうまい罠でも仕掛けるか、できるだけ遠くからライフルでねらい撃ちするしかない。いくらライフルといっても弾丸が弾丸だから、そんなに射程を長くはとれないが、その辺は狩人の腕の見せ所さ。

そう、おいはどっちかというとスナイパータイプさ。でも接近戦に弱い訳じゃない。まえに土木工事用の<熊>と森でばったりコンニチハしちまったときは、このリボルバーで心臓…つまりバッテリへ立て続けに5発ぶちこんでやったもんさ。とっさのクイックドローも狩人の必習科目ということだ。

しとめた<熊>はどうしたのか、って?もちろん持って帰ってきたさ、自分の船でな。とはいっても、おいはいつでも船で動くというわけでもない。どちらかというと、船はどこかに隠しておいて、バイクを使う方が多いかな。場合によっては、徒歩で何週間も獲物をもとめて歩き回ることだってある。そうしてしとめた獲物は、そのまま背負って帰ることもあるし、あとで船で回収したり、しとめるだけで手いっぱいの大物は、その場に仲買人の船を呼びつけて持って行かせる事もある。その辺は、獲物しだいで臨機応変さ。

大物狙いの狩人仲間には、一人で何か月も奥地をさまよっているヤツもいるぜ。めったに見られないような特殊な<獣>をしとめると、一発で大金持ちも夢じゃないからな。とはいえ、どんな珍種でも使い道がないと全然売れないこともあるし、そのへんが賭けというか難しいところさ。さすがに昔のセンチネルみたいな戦闘用のヤツをしとめたという話を聞いたことはないが(まあ、戦争の時の残骸は腐るほどあるがね)、たまに実用的なヤツにぶつかることがある。鉱山掘削用の<モグラ>なんて金鉱そのものより価値が出たからな。鉱山はもとより、地下スペースの拡張やトンネル掘りでいつでもどこでも引っ張りだこだ。前にそいつををしとめたヤツの話を聞いたことがあってな。

何人かで鉱山の地下まで潜り込み、でかいのを一匹しとめたんだな。で、その場で獲物を守りながら書き換えプログラムを取り寄せ、なんとか洗脳して脱出用の穴を掘らせたとか。それで生き残ったんだから、もう一生遊んでくらせる…はずだったんだがな。そいつは、また別の大物を追っていて、あっさり命を落としちまった。狩人は死ぬまで現役、きれいに引退したヤツなんて数えるほどしかいないよ。

なんで引退しないのか、だって?できっこないだろう、このおいだって、ときには海に散らばったノーチラスの島々でさえ狭苦しく感じることがあるくらいだぜ。このザイオンなんて論外さ。なんでこんなに狭いところにこんなにたくさんの人間がひしめいてるんだい?しかも、あのドーム…。空がないんだぜ、ここには。そりゃあ、西だって空は厚い雲で覆われてるさ。それでもここの天井よりは遥かに高いし、すくなくとも水平線までは見渡せる。ここに比べれば、あっちは広々としたもんさ。

だがな、おいたち狩人にとってはそれでも狭苦しいんだ。なにもない大海原の茫漠さ、枯れた平原に延々と続く道、いけどもいけども繰り返し現れる立ち枯れの山並み、そして朽ち果てたビルの建ち並ぶ死んだ市街…。そんな世界の中では、おいたち人間も<獣>たちも、それこそ微々たるもんさ。そこでは、なにかの目的があって動き回る<獣>たちのほうが、ザイオンでただ群れている人間たちよりも、そう、「生き生きしている」ように見えるんだ。そして、そんな<獣>たちに挑み、この手で倒した時に初めて、おいたちも生きているように感じることができるんだよ。

地上では、人間も機械もない。そこは荒れた自然、もう後戻りできない死にかけた地球がすべてを支配している。マシンどもは、その脅威に対抗しようとして活動しているようだ。だが、おいたちノーチラスの人間も、同じように生き延びようとしているという点では変わりがない。わずかに残された海底の資源を支配し、できるものなら昔のような豊かな漁場を再生しようと頑張っているんだ。そんなおいたちにとっては、機械の<獣>も地球の資源のひとつでしかない。

むかしのマシンとの戦いは、単なる感情的な対立だったようだな。だが、いまではそれも、生存をかけた自然との戦いの前にはちっぽけなものにしか見えない。もちろんおいたちは<獣>を狩るが、それはもう、創造主がその創造物を刈り取るような気楽なものじゃあない。おいたち自身の戦いを有利にするために必要な力はなんであれ利用するが、それはおいたちが使ったほうが有効に使えるからというだけなんだ。連中のしていることを否定しているわけではないんだよ。

マシン連中が黙々と進めている作業が本当の所いったいなんなのかは、おいにもよく分からない。が、それは少なくとも人間に直接害をなすもののようには思えないんだ。もちろん、狩りでは何人もの人間が<獣>に殺されるのもしょっちゅうだし、なにもしなくても、不用意に出くわせばやはり危険なのも確かだ。だが、今の<獣>は人間をわざわざ狩り立てたりはしないようだ、少なくともおいの見る限りでは。その意味では、諍いを仕掛けているのはやっぱり人間の方なのかもしれないな。

おいたちは必要があって<獣>を狩る。その意味では、<獣>も重要なものなんだよ、ノーチラスの生活のなかでは。ザイオンの群衆と<獣>の群れのどちらが大事かと聞かれたら、間違いなく<獣>のほうを取るね。おっと、すまんな。悪気はないんだ、例えが悪かったかな。だが、狩人が<獣>に対する敬意をなくしたら、それは間違いなく死に直結するんでね、地上では。それに外の荒れ果てた風景の中では、<獣>のほうがよっぽど人間的なんだよ、自然そのものの無意識で凶暴な振る舞いに比べればね。

だいたい、ザイオンの連中は、自分達がどれほど機械に頼って生きているのかに気がついているのかねぇ。地下の生命維持システムは全部が全部機械だ、そうじゃないかね?たしかに意識の無い愚鈍な機械でしかないかもしれん。だが、それが止まったらあっというまに悲惨な状況に陥ってしまうのは目に見えているじゃないか。…いや、おえらい連中はそのことを十分承知しているんだろうな、だからこそおいたち狩人やノーチラスの人間をあれほど煙たがっているのかもしれん。下手に手を出してまたマシンを怒らせてしまい、ザイオン殲滅に動き出してきたらどうするのか、ってな。

だがね、ノーチラスの開拓民はまさにそのために飛び出して行ったんだぜ。ザイオンにいる限り、マシンの手のひらの上にいるもおなじことだ。ノーチラスは、マシンの「庇護」を離れ自らの力で生きていくための場所なんだ。かつてほどの生産量はないにしろ、まだいくばくかは採掘可能な石油や鉱物などの資源、深海にわずかに残った自然の生態系を利用した食糧自給、そして閉じ込められていない開けた空間という贅沢な防御…。

たとえマシンシティが崩壊しすべての<獣>が死に絶えても、おいたち人間は生き残っていけるようにしておかなければならないんだ。たしかに現実的には、ある程度の機械が必要かもしれん。だが、マシンどもが自立した社会を構築している以上、おいたちもある程度の自立を達成しない限り、人間は永遠に奴隷のままだ。必ずしもマシンの、というだけじゃない。自然の、環境というエントロピー世界の中でただ生き延びることにのみ汲々とする奴隷で終わってしまうかもしれないんだ。かつては星の世界まで手中におさめようとしていた人類がだぜ!

…いかんな、すこし飲み過ぎたようだ。一人で狩りに出ていると何週間もひとこともしゃべらなかったりするんだが、やっぱり人恋しいこともあるみたいだな、このおいでも。ありがとよ、こんな酔っ払いのたわごとに付き合ってくれて。じゃあな、また気が向いたらくるかもしれん。おやすみ。


やあ、すまないねえ。あいつも根はいいヤツなんだが、いかんせんザイオンみたいな都会にいるとどうも落ち着かないらしい。でも、あいつは本当に腕のいい狩人だ。ヤツの持ち込んで来る<獲物>は、ほんとに傷の少ない一級品ばかり。こないだのときなんか、プログラムの差し替えだけでそのまま完璧に動いたくらいだ。おれたち調教師のあいだでも有名なヤツだ、不作法は許してやってくれ。

そう、おれは調教師、<獣>のプログラマだ。とくに専門はない、持ち込まれればどんな<獣>でも調教するよ。まあ、最近は珍種にぶつかることも少なくなったから、めったにジャックインすることも無くなったがね。そう、初めての<獣>のときは、どうしてもマトリックスのハッカーに頼らざるを得ない。ソースもなしでバイナリをいじるのは、目をつぶってロシアンルーレットをするのと大して変わらないからな。

むかしは単にパーツ取りのためだけに<獣>をばらしていたんだが、それでもちっぽけなチップが部品に仕込まれていて、とんでもないことになったりしたもんだ。全然うんともすんともいわずに固まっていて、なんとか動かそうとしていじっているうちにいきなり暴走し、メカニックの手をつぶしちまったり、とかいろいろとな。

それで、せめて<獣>の仕様だけでも入手できないかということで、たくさんの奴らがジャックインしてあちこち嗅ぎ回っていたところ、そのうちとんでもないハッカーが接触して来たらしいんだ。そいつがどこの誰なのか、それどころか人間なのかプログラムなのか、それともなにかの組織なのか、正体はいまだに謎のままだ。

初めのうちは、型番と希望の機能をヤツに注文すれば、入れ替え用のプログラムと洗脳の手順が送られてくるだけだった。だが、あっというまに注文が殺到し、向こうさんもこなしきれなくなったんだろう、直接「ソース」を売ってくれるようになったんだ。もちろん、値段は半端じゃなかったが、同じ型番なら何度でも使えるから、結局は安い買い物だった。

もちろん、ソースといっても人間が見るための物じゃないから、それだけ貰ったってどうにもならん。だが、向こうは親切にもソース記述の説明書をつけてくれたのさ。説明書といっても、「これがコマンドだ」「ここが動作ルーチンだ」「ここは触るな」って程度だけどな。それでも、人間の言葉に比べればずっと論理的だから、いったんコツをのみ込んじまえば解析も不可能じゃない。

まあそうなれば、決まった仕事をプログラムするのはわけなかったんだが、命令を受ける…つまり「命じられた仕事のプログラムを自分で作る」ようにするのは結構難問だった。もちろんその機能のない<獣>には無理だが、<犬>や<猿>レベルなら状況を判断して動いているのは明らかだから、理論的には可能とわかっていたしな。結局、それは基本的にはヒューマノイド・ロボットの人工知能とおなじものなんだから。

もちろん、もともとの人工知能プログラムをそのまま使うわけにはいかない。問題は、そのままでは人間に危害を加える可能性があることだった。そもそも人間とマシンの戦争は、ロボットが人間を殺したことに端を発している。何でそんなことが起こったのかわからないが、とにかく連中は人間の与えた「ロボット三原則」をすり抜ける方法を見つけちまったんだ。どうやったのかはいまだに解っていない。そんな訳の解らない人工知能を使うくらいなら、ただのリモコン操作機械のほうがよっぽどマシさ。

といって、おれたちの作った半端なAIは使い物にならなかった。あれではまだ「常識」というものが無いからな。「部屋を片付けろ」というと、部屋中の家具をぜんぶ放り出しちまうなんてのはまだいいほう、部屋そのもの壊して人の住める空間でなくしてしまうくらいだ。たしかに「部屋を片付けちまった」と言えるかもしれんがね。

だから、ある程度の状況判断ができない<獣>には、仕事を任せるわけにもいかない。その点では、実はふつうの人間だって危ないけどな。とにかく、そこで壁にぶちあたり、どん詰まりになりかけたんだが、解決策はやっぱりマトリックス、例の謎のハッカーからもたらされたんだ。

ヤツは、マシンがロボット三原則を抜ける際に発するソース上のシグナル・コールについて教えてくれたんだ。つまり、マシンが人間にとって危険なことをしようとするタイミングをプログラム上で検知することができるようになった。それさえ検知できれば、その場で動作を止めることもできるし、あるいはその元となった命令をキャンセルして警告を出させたりすることができる。

驚いたのは、いまだにそのロボット三原則が組み込まれていることだった。とっくに削除されていると思われていたその「掟」は、どんな<獣>にも組み込まれ、ちゃんと機能していたんだ。どんな状況でも、まず最初に呼びだされるのはそのチェックルーチンで、それはもう本能といってもいいくらいにしっかり組み込まれていた。そして<獣>が人間を攻撃する時は、それを上書きする形で指令が出されるらしい。ある意味では、マシンは解っていてやっている確信犯なんだ。良心のうずきを感じながら使命感からやむを得ず行動する兵士みたいにな。殺される方にはなんの違いも無いんだが。

だから、おれたちプログラマはその「良心のうずき」を強化し、鬱憤を安全な形で吐き出す処理を付け加えるだけで良かった。ほとんどのコードには手をいれる必要もなかったくらいだったんだ、ほんとはね。

皮肉なもんだが、これは結果的に、マシンに命じてはいけない命令がどんなものなのかを人間に教えてくれることになったんだ。その方法でやってみると、実際に引っかかるのは何気なく与えたコマンドが実は矛盾した命令だったり、理不尽な要求だったり、単純に無意味な指示だったりしている場合がほとんどだった。こちらはそれに気がついていないだけだから、あらためて指摘されればなるほどと思うし、そんな命令は撤回してしまえばなんの危険もない。ロボットがキレる原因は、よく考えれば人間が同じ人間相手にはとても言えないような命令を、ロボット相手では平気で下していたことにあったんだ。

とにかく、<獣>がいきなりキレる前にその徴候、いわばマシンの感情表現を得ることで、人間のほうがマシンとの付き合い方を身に付けることができるようになったのさ。そのルールがわかってしまえば、ほとんど問題はおきなかった。もちろん、万一人間が無理強いしてマシンのほうもがキレても、文字どおりパワーが切れてだんまりするだけにしておけば危険もない。これで一気に<獣>に対する恐怖感は少なくなったね。

もちろん、はじめのうちはいくつかの「事故」があったよ。だが、よく調べてみると、それは全部、人間の付け加えたプログラムのほうに何らかの欠陥が発見されたんだ。ひどいのは意図的に制限を外していたケースもあったが、それは人間の方の犯罪でマシンの落ち度じゃない。そう、「犯罪」さ、そのプログラマには未必の故意で殺人罪が適用された。その意味では<獣>のほうがよっぽど道徳的で倫理的にも正しい、って言えるくらいだ。

こうして人間の「常識」とマシンの「常識」に接点ができると、不思議なくらいうまくいきはじめた。テストも安心してできるからプログラムのバグとりも容易になったし、なにより、こっちが思いも寄らなかった問題で人工知能の精緻さに救われた例は数えきれない。なんといっても、人間はキレた後ではじめて事態に気がつくが、マシンはキレる前に気がついてくれるからな。

まあ、ザイオンには人間があふれかえっているから、単純な作業は人手でやったほうがいいっていう事情も運がよかったのかもしれない。数の少ない<獣>にさせる仕事は、人手ではとてもできない難しい作業や辛い作業だけになったから、本来それをしなければならない立場の連中は、もう<獣>さまさまで下にも置かない扱いだ。よけいな仕事はさせず、本来の機能を生かせる作業をやらせている限り、<獣>も嬉々として文句も言わずこなすから、どっちからも文句が出ない。

とにかくいまじゃ、ザイオンでは<獣>はありふれたものになりつつある。目立つほどではないが、かなり重要な仕事をこなしているんだ。ここの人々はそのありがたみがわかってきている(はずだ)。やっぱりみんな、どこかで機械に頼っているという感覚は多かれ少なかれ持っているはずだ、こんな地底の街では。

それに、<獣>そのものも、必需品だけでなく贅沢品の部類まで出回るようになってきたしな。金持ちのガキなんか、自分用の<リス>を飼ってるヤツまでいる。おれは、<獣>をペットにするのはどんなもんかと思うんだけど、かわいがるのは悪いことじゃないし。それに、そんな金持ちたちのおかげでおれたち調教師もいい暮らしができるんでね。

…ま、おれたち調教師は、せいぜい<獣>が「気分を害した」ときの反応をプログラムする時に遊ばしてもらってるよ(笑)。嫌なときにはすなおに嫌な顔をするほうが、結局はお互いのためにいいんだよ、人間でもマシンでも。それでうまくやっていければ、それに越したことはないじゃないか。ほんと、マシンに人間並みの感情表現力がついてくれば、もう違いなんてあって無いようなもんだからな。実際、おれはそう思うね。

どうだい、あんたはどう思う?


ふむ。面白いもんだな、人間の考え方ってのは、片や距離をおくことでバランスのとれた関係を保ち、片やさらに歩み寄って良い関係を成立させつつある。まったく、一筋縄ではいかんもんだ、人間ってやつは。

だが、どちらにしろマシンとの関係も変わってきたもんだな。戦後初めて<獣>があらわれたときの体感的な恐怖から始まって、過去の記憶と結びついた憎悪の時期はけっこう長かった。それから次第にあきらめというか無視というか、暮らしの一部としてひっそりと扱われるようになり、次の世代の子供たちの興味の対象になりはじめたあたりが転換点だったように思えるな、いまとなっては。うまれたときからそうした<獣>がいる環境では、へんなトラウマがないから柔軟に接することができ、社会の一部として付き合って行かなければならない物としてすんなり認知されてきたんだ。

よく考えてみれば、そうした別の動物がいるという環境は、地球本来の自然環境では当たり前だったわけだしな。人間が進化してきた環境では、数えきれないほどの種類の動物が膨大な数でうろうろしていた。人なつこいけものもいれば鋭い牙をもった猛獣もいる、小さいけれど強烈な毒をもったものまでいたんだ。それでも人間は長いことうまくやってきた。その意味では、新しい<獣>に自然にあっさりと対応できても不思議はないはずだ。

おそらく、人間にとって不幸だったのは、<マシン>というものが、初めて接する「解っているはず」の存在だった、ということなんだろうな。自然の動物にしろ、人間同士にしろ、そのメカニズムやアルゴリズムが理解できないほど複雑な物だということは、人間にとっては何億年もの進化の過程で身に付いている暗黙の了解だった。だからこそどんな動物にも慎重に接して付き合っていくことができるんだ。ところが、<マシン>の進化は人間の目の前であっというまに起こった出来事だ。しかもその種の起源は人間の手で一から作り上げられた単純な機械、簡単に理解できるものだったんだ。そんなふうにして自分たちで創造したものが、いつかは自分たちにも理解できないものになるなんて、思いもしなかったんだろう。だが、実際には何も解っていなかったんだ、人間は。<マシン>というものについて、ほとんどなにも。

だいたい、人間に「自分自身について全てを完璧に理解しているか」と尋ねてみればすぐに解ることなんだがね。自信をもってYESと言える人間がどれだけいる?そしてYESと言った人間の中でも、本当に解っているヤツがどれだけいると思うかね?まして他人はいわんや、だ。どんなモノであれ意識をもった存在を完全に理解することなんてできる、と考えるなんて、おこがましいもほどがあるよな。それは、相手が生身の動物だって<マシン>だって同じことなんだ。

だが、いまでは<獣>はマシンが生み出す自然の一部として受け入れられている。そうして、実はなかなか理解できない存在だ、という認識がやっと浸透してきたから、あたらしい関係を模索しながら付き合っていけるようになったんだ。ほんと、フクザツな生き物だよ、人間てヤツは。

わたしは、このカウンターの下で長いこと人間たちを見てきた。夜中に泥棒がくれば追い払うし、ケンカの仲裁にはいったり、たまには愛想ふりまくようなこともある。が、ただの番犬には、ほかにはそうそうすることもないからな、じっと人間を観察する以外には。だが、おかげでだいぶ人間のことが解ってきたような気もするよ。人間のほうもすこしはわたしたち<マシン>のことが解って来たようだし。…まあね、時間はかかったがうまくいっているってことかな、わたしたち<獣>の本当の任務も。

 
 

(2003.12.31)


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2004.10.15 編集