Matrix Restart

Written by TOMO
Based on "Matrix" trilogy



迷宮(パート4)


コンピュータ室は殺風景なものだった。

部屋の左右には背のたけほどの、取っ手のついた引き出しでいっぱいのラックやら、テープのセットされたキャビネットやら、なにかのインジケータLEDがびっしりのパネル、巨大な筐体に単純なランプが一つだけの箱、そんなものががずらりと並んでいる。そして部屋の中央にはモニタとキーボードのあるコンソールが4セット、それぞれの机の上に並び、その奥にHAL8501本体がちんまりと置いてあった。

部屋を埋め尽くしているのは、ほとんど全部が、データストレージやメモリ、あるいは無停電電源などの周辺機器で、本体はポンと机の上においてあるちっぽけな箱一つ。前面はわずかに湾曲したデザインだが、ほとんど何もないのっぺらぼう、サイドもただの空気取り入れのスロットが下のほうに空いているだけ、そして背面にはケーブルが数本繋がっているだけだ。

照明がつきっぱなしの部屋に入ると、ケリーとN.K.、それにフランソワが入口の見張りに立ち、D.D.は真っ直ぐ本体の裏に回った。サティとアッシュもヘポピーのバックパックから何かの箱のような機械を取り出し、コンソールに向かう。それからヘポピーは担いできた巨大なバッテリーを本体の後ろに降ろし、D.D.とともにセッティングにかかる。

サティはその箱をキーボードに被せ、位置を覗き込んで調節してからスイッチを入れた。急にカチャカチャというキーを叩く音が数分続き、突然止まる。それからアッシュに手伝ってもらって箱を外すと、また別のキーボードで同じことを繰り返す。

この機械もD.D.特製のしろもので、キーボードの表面の磨耗度や各キーそれぞれのスプリングのへたり具合から、どのキーがどのくらい使われたかを推定するというものだ。そして、その情報と一般的なキーの使用頻度情報を付き合わせ、特異な使われ方をしているキーを特定する。意味の無いキー操作、しかもある程度繰り返されるもの、つまりパスワードに使われている可能性の高いキーを絞り込めば、それだけパスワードを割り出しやすくなる。むろん、確率の問題だから、特定することはできない。それでも、対象となるキーがひとつでもでもふたつでも減れば、それだけ確実に可能性は高まる。

4台のキーボードすべて調べ終わると、サティはその上面にある表示を読んだ。「確率98%で18文字かぁ。まあ、こんなものね。D.D.、そっちはどう?」

「もうちょっと。電源はOKだ。あとはノートを繋げば…。うん、これでいい。もう起動して構わないよ。」

サティがHAL8501のパワーキーを押すと、部屋中が唸りはじめた。そこにある巨大な機材がいっせいに音を立ててランプを点滅させ、それが落ち着くと本体ランプが点滅を始める。モニタにも明かりが入り、単純なログイン画面が表示された。それを見てサティはD.D.の繋いでくれたノートPCのスイッチを入れた。

そもそもこのマシンはスタンドアロンだから、ネットワークには繋がれていない。とはいえ、機能自体は普通のコンピュータ並に備えている。実は、単にそういう接続がされていないだけなので、ケーブルでノートPCを繋いでしまえば自動的に繋がってしまうのだ。おまけにそういう直接続はしないということになっているから、セキュリティは無いも同然、あっさりログインできる。もちろんゲスト扱いだが、そこからユーザのパスワードを盗み出すのは比較的簡単だ。サティはクラッキング・プログラムを起動した。

そのとき、アッシュが言った。「なんだー、見ろよこれ。モニタにユーザ名とパスワードを書いた紙が貼ってあるぞ。これで済むじゃん。」そういうが早いか、彼はコンソールのキーボードにそれを打ち込んだ。

「ダメよ!」サティが悲鳴を上げる間もなく、部屋の明かりが消え、同時に持ち込んだバッテリーのファン回転音が急上昇する。「あーあ、やっちゃった。アッシュ、そんなの罠に決まってるじゃないの!どうして打ち合わせどおりにこっちのクラック結果を待たなかったの?」

「わりィ、つい…。でも、とりあえずログインは出来たみたいだ。きっと電源を遮断すれば自動的にマシンも落ちるので、それ以上は考えなかったんだな。」アッシュはしどろもどろになりながら言った。「まあ、これでデータの検索は出来そうだ。オレはすぐにハッキングにかかるから、そっちは管理者パスワードのクラックに専念してくれ。」

「まったく…。すこしは時間が稼げるかと思ったのに。ケリー、もう連中はここに侵入があったことを検知してるはずよ。そのうち来るわ、覚悟してね。あとはバッテリーが持ってくれるのを祈るばかりだわ。」サティはそう言って自分のコンソールに向かった。

D.D.とヘポピーは部屋の隅を回って、ごそごそと置き土産の爆弾をセットしている。そのときフランソワが言った。「なにかワイヤのこすれるような音がしているわ。きっと、さっきの落ちた天井を上げているのね。」N.K.は手にしたH&Kマシンガンを握り直した。

「よし、あったぞ、『The One No.1』…。なんだこりゃ、No.6まである。ま、いいか、全部見てみよう。」アッシュはそう言ったきり、モニタを一心不乱に見つめはじめた。ほとんどスクロールが止まることも無く、色とりどりのデータが画面を流れて行く。

「ケリー、来てくれる?」サティが声をかけた。「スタッフ用パスワードが取れたわ。これでログインして検索を進めて。」

ケリーがコンソールについた時、またフランソワが言った。「今度はギア音…。落とし穴ね。その向こうに…、6人、いえ、8人はいるかしら?もうすぐ来るわ。」

「D.D.、そっちはどうだ?」N.K.が聞く。

「爆弾はもうOKだ。携帯電波は全然来てない。やっぱりぶち抜かなきゃならんな。ヘポ、さっきのレーザーをくれないか?」そうして、D.D.はレーザーを持って入口と反対側の壁に向かい、そこで今度はアダプタなしで壁にレーザーを当てた。

瞬間的に直径10cmほどの焼け焦げが見えたと思ったら、すぐにコンクリートが融けて流れ落ちる。10秒ほど当てると、なにか金属のような板が現れた。D.D.はそこまで来ると、ゆっくり焦点を動かしはじめた。直径1m、なんとか人の通れるくらいの丸い円を壁に描いて行く。

ひとまわりして円が閉じると、いったんレーザーを外し、さっきとは別のアタッチメントをつけ、むき出しになった金属部分にレーザーを当てる。

「来たわ!」フランソワが叫ぶ。廊下の向こう角に黒い影がひょいと出たり入ったりして、様子をうかがっている。

アッシュは無心にモニタを見つめていたと思ったら、突然体の緊張を解いた。「よし、こっちはこれで全部だ。ケリー、そっちの検索結果は出てるか?」ケリーはすでに2台のコンソール画面に情報を出し、3台目にかかっていた。アッシュはさっそく情報の出ているモニタをスクロールし始める。

「くそっ、こいつは厄介だな」D.D.が毒づく。「超伝導シールドだ。レーザーの熱が拡散しちまって焼き切れやしない。フランソワ、ちょっと来てくれないか?ヘポピー、こっちはいいからN.K.と守りについてくれ。」

「この板の厚さは見当つくかい?」ヘポピーと交代でD.D.のところに行ったフランソワにD.D.が尋ねる。フランソワはすでに熱の冷めている金属の部分を軽くたたいた。

「大して厚くはないわ、せいぜい3ミリってとこね。ほんとに電波のシールド用だと思うわ。」

「材質は?堅いか?」

「いいえ、普通の鉄程度ね。」

「よっしゃ。」D.D.はまたおもちゃ箱をかき回し、先の長い電気ドリルを取り出した。ドリルを当てると、金属の粉が舞い散り、30秒ほどで貫通した。すぐに5センチ間隔ほどで次々に穴をあけて行く。

そのとき、向こうの角からマシンガンを持った男たちが6人、そろりそろりと出てきた。アッシュとヘポピーのマシンガンが同時に火を噴く。向こうからも猛然と撃ち込んでくる。流れ弾がドアの中まで飛び込んできた。

「マズイ!ヘポピー、そこの机を立てて弾除けにしてくれ!」N.K.が撃ちまくっている間にヘポピーがでっかいスチールの机を軽々とつかんで入口から1mくらいのところに立て、とりあえず弾丸が部屋の中に入らないようにした。そしてまた、二人で交互に弾丸を注ぎかける。むこうの二人が倒れたところで、のこった奴らはいったん角の向こうまで引いた。

「これで必要な物は全部だ。」検索を終えたケリーが言った。アッシュは隣のコンソールでひたすらデータを記憶している。ケリーはサティを振り向いて聞いた。「サティ、どうだ?ルート・パスワードは取れたか?」

「クラック処理60%完了、これまでの所要時間15分…。あと15分てとこね、最悪でも。なんとか持たせて!」

「こっちはあと3分てとこだ!、ヘポピー、手が空いたらこっちを頼む!」D.D.が声をかける。

「手が…空く…わけが…ネエだろうが!」ひっきりなしに撃ちまくるヘポピー。そこへケリーが行き、銃を受け取って交代した。向こうは人数も増え、いまは小さな盾に身を隠しながら、じりじりと迫ってくる。一瞬でも撃つ手を休めれば、すぐに間合いを詰めてくる。N.K.とケリーはひたすら撃ち続けるしかない。

「せぇーのっ!」突然へポピーのかけ声が響いたと思ったら、奇妙な「ぼこっ」という音のあとになにか重い物が地響きを立てて倒れた。D.D.の開けていた穴の最後の仕上げに、ヘポピーがどすこいとばかりに体当たりして壁を抜いたんだ。さっそくフランソワが穴を抜けて向こうの部屋の様子をうかがいに消えた。ヘポピーとD.D.も穴を抜ける。

「ここでもまだ圏外だが、そのむこうは普通のドアだ。廊下を挟んで向かいの部屋は外に面している。ぶち破るのはすぐだ。」戻ってきたD.D.が告げた。

「まだだ!破ればこっちの動きがばれちまう。準備だけしていてくれ!」ケリーが撃ちながら叫び返す。

「処理70%完了…。」

「あっちはヘポピーがバズーカ砲でスタンバイしてる!そっちはどうだ、ランチャーでも仕掛けるかい?」

「ありがたい!奴らの盾は亀の子みたいで銃では足止めが精いっぱいなんだ!」

「処理80%完了…。」

D.D.はヘルメットからモニタ・グラスの一つを下げると、そのまま入口からひょいと頭を出し、そしてすぐ引っ込めた。「距離計測よし。軌道設定…よし。弾頭設定…よし!撃つぞ、入口から待避!」

N.K.とケリーが入口から身を引いた瞬間、背後にセットしたロケットランチャーから耳障りな高周波ノイズまじりの火の玉がくねくねと飛び出し、ドアを抜けて行った。すぐに鈍い音がしたかと思うと、爆風が戻ってくる。ドアから顔をだすと、廊下の向かいの壁に大きな焼け焦げができていて、後ろからの爆風と破片で前のめりに倒れた連中がもがいている。さらにケリーが追い打ちの掃射をかけると、ばたばたと(あるいはずりずりと)逃げ出していった。

「よおし、これで全部だな!」アッシュが向き直った。「ったく、ソースコードまるごと記憶するのは、さすがに骨が折れたぜ。」

「アッシュはヘポピーの方へ行ってくれ!こっちは3人でなんとかする!サティ、まだか?!」とケリー。

「処理90%完了…」

「D.D.、爆破の準備はOKだな?」

「もちろん!」

「処理95%完了…」

「おーい、ヘポピー、合図したらすぐにぶち破れよー。」

「了解!」

「100%、ルート・パスワード取得…、スーパーユーザでログイン…」

「なんだ、あれ?あいつらロッカーでも持ってきたのか?とんでもねえシールド押し立ててるぜ!D.D.、もう一発お見舞いしてくれ!」

「スーパーRAIDサブシステム…バックアップモード切り替え…」

「ダメじゃん!もっと派手なのはないのかよ!」

「これ以上でかいヤツだとこっちまでふっ飛んじゃうよ!」

「ミラーリング…ローレベル…リアルタイムOK…安全解除…過去データ消去…」

「いいからぐたぐた言ってないで撃ちまくれよ!」

「セキュリティ・レベル最高…完全消去…、これでいいわ、全データ消去実行!」

部屋中の機材が一段とうるさく唸り出し、いっせいに赤いランプが点滅を始める。すべてのデータストレージの情報が徹底的に消去され、それとシンクロしているマシンシティのバックアップシステムへ更新データを送り出しているのだ…同じように消去せよ、と。

そして、いきなり、すべての機材があげていた唸り声が突然止まった。全てのランプは緑に戻っている。

「終わったわ!」「ヘポピー、いまだ!」「みんな、伏せろ!」

バズーカの発射音とともに、隣の部屋のドアが吹き飛ぶ。すかさずアッシュが次の砲弾を詰め、ヘポピーがもう一度ぶっ放すと、廊下を隔てた向こう側のドアも粉みじんになり、その向こうにガラスの窓が崩れ落ちて行くのがかすかに見えた。

そのときD.D.ももう数発ランチャーをかまして廊下側を牽制する。その隙に、サティが穴を抜けて隣の部屋へ入る。続いてD.D.、ケリー、そしてN.K.と抜け、そのまま廊下を抜けて窓のある部屋まで駆け抜ける。

「ヘポピー!なんでもいいからドアを塞いでくれ!」全員揃っているのをちらっと確認したケリーが叫ぶ。ヘポピーはまたその辺の机をドアの跡形もない入口付近に積み上げていく。「いいか?よし、D.D.、爆破!」

「いくぞお〜っ!」D.D.が腕に巻いたスイッチを押す。地響きとともに震度6くらいの揺れが襲う。そのゆれもすぐにおさまり、亀裂の入った廊下側の壁の隙間から煙が吹き込んできた。「もう、あっちの部屋は跡形も無いぜ。コンピュータもサヨウナラ…完璧!」


「電波は?行けそうか?」ケリーが聞いた。

「ああ、問題ない。」アッシュが気の無い様子で答える。

「じゃあ、さっさと脱出しろ!」

アッシュは携帯を取り出し、ダイヤルした。「オペレータ?おれだ、アッシュだ。すぐ脱出する。」それだけ言ってすぐに切る。間髪おかず、その携帯が鳴る。だが、アッシュは出ないまま、みんなを見回した。

「なんか…、おれだけ脱出するなんて…。」

そのとき、一番近くにいたケリーが、アッシュにビンタを喰わせた。

「バカやろう!お前のおつむに入っているデータが残らなかったら、おれたちは犬死になんだ!さっさと自分の役割を果たせ!」

一瞬ムキになってケリーを睨み返したアッシュは、すぐに冷静な顔になった。

「解った。だが、あんたたちもさっさと逃げ出すんだぜ。」そして、肩にかけたM16を外すと、ケリーに渡した。「使ってくれ。だが、やるんじゃない、あとで返してもらうからな。」

受け取るケリーの手がアッシュの手に触れ、一瞬止まった。「ああ。借りとく。」ケリーが言った。

そしてアッシュは携帯を取りあげて受信ボタンを押し、消えた。携帯が床に落ちて転がる。

「お前もはやく行けよ。」ケリーが力なくN.K.に言った。しかし、N.K.は自分の携帯を見つめて固まっていた。

「…」N.K.は、自分の携帯を見ながら、ぽつりとつぶやいた。「これか…。」

N.K.の手にある携帯のど真ん中には、銃弾がひとつ食い込んでいた。お掃除おばちゃんの銃弾はきれいにN.K.の急所を貫いていたわけだ。ただ、たまたま首から下げていた携帯に当たり、そこで止まった。携帯が彼の身代わりになったのだ、ついでにかれの脱出方法をも道ずれにして。

かれが弾丸の食い込んだ携帯をみんなに見せると、サティが声を上げた。「なんてこと!…あのときね、私を守って…。」

「…ということで、おれもみんなと一緒に逃げるしかないわけだ。ん?、どうしたんだ、みんな?なにしけた顔してんだよ!そんなにオレが邪魔か?」N.K.が声を上げた。

「いや。そういう訳じゃない。だが、もう目的は達しちまったからな、おれたちは。」

「そうね。必要なデータはアッシュが持って脱出した。ここのデータは完全に消去したから、もうこれ以上脅威になることもないわ。私たちの任務は完了したのよ。」

沈黙する一同を見回し、N.K.は爆発した。

「ふざけるな!」N.K.が苛立たしそうに叫ぶ。「なんだよ、屋上へ出てヘリで逃げるんじゃなかったのか?あの計画は嘘っぱちなのかよ?」

「いや、そんなことはない。屋上のドームを破壊すれば30秒で駆け付けてくれる手はずだ。」

「じゃあ、なにのんびりしてんだよ!もう任務が完了しただと?なに寝ぼけたこと言ってやがる!全員無傷で脱出してやっと完了じゃねえか!それともなにか、おめえたちはもう満足して死にてえってのか?それともなにか、えぇ、たったあれっぽっちの情報とアンティークコンピュータの部屋ひとつ、それと引替えでつり合うほど軽いもんなのか、おめえたちの命は?五体満足で生んでくれたおやじとおふくろに申し訳ないとは思わねえのか?」

もう相手がプログラムであることをすっかり忘れてN.K.はまくしたてた。それでもその言葉は、サティにとっては幼い頃の両親の記憶を呼び覚ますことになったのだが。パパとママ…。私を愛し、そして生かそうとして手を尽くしてくれたパパとママ!

「D.D.、お前だっていつかは現実の車を設計してみたいとか言っていたじゃないか!ここで死んじまったらその夢はどうなんだよ!あっさり『夢でした』で終わらせるつもりか?ヘポ、てめえだってハイウェイを思う存分すっ飛ばしたいって!フランソワだってステージから観客の賞賛のため息を聞くのが好きって言ってたよな。そんなことは全部もうどうでもいいっていうのか?」

「え、なんとかいえよ、ケリー!」N.K.は委細構わず当たり散らしている。「どこかの日本人みたいにな、いいことばっかりは続かない、そろそろ悪いことがありそうだ、てな仏頂面しやがって。だいたいお前だって、メロのヤツにはずいぶん貸しがあるんだろうが!この程度で回収できちまうのかよ、お前さんの貸しは!この程度のビルの二つ三つぶっ壊し、その上ヤツの目の前に屁えこいて逃げ切ったっておつりが来そうなもんじゃねえのか?お前一人だけの話じゃねえぞ。ここで大人しくやられちまったら、結局ヤツのやりたい放題の方がお得だった、てことになる。それでもいいのかよ!」

その時、アッシュの携帯が鳴った。N.K.が拾い上げて出る。「ああ、アッシュか。おれだ。そう、おれの携帯は死んでる。…、いや、これをおれ向けに再調整するのは無理だ、時間が無い。…、わかった、わかったよ、そんなにブーブー言うな、データを忘れちまうぞ。…、そう、おれはみんなと一緒に脱出する。ヘリ係に一人増えたと伝えてくれ。あとは計画通りだ。忘れないうちにさっさとデータを吐き出しちまえよ。じゃ、あとでな。」

すこし落ち着いたN.K.は、改めてみんなに語りかける。

「いいか、みんな。物わかりが良すぎるにもほどがあるぞ。そりゃー可能性は少ないかもしれん、あきらめたらその時点で確実にゼロだ。だが、あきらめない限り、可能性はある。たとえやられたって、すくなくともメロのヤツをゾッとさせるくらいのことはまだできるじゃないか?そもそもここまで誰もやられず全員無事で来れたんだぜ。どうせなら最後まで全員でクリアして、ザマアミロってベロだして笑ってやったっていいじゃないか、ここまでくれば勝ち目は十分にある。自分で限界を設定して、なんの意味がある?ほしいものを予定よりちょっと多めに取ってなにが悪い?生きていれば次がある。次があればもっともっと先へ行けるんだ!」

「なんとも楽観的なことだな。」ケリーが答える。「だが、…まあ、まだできることがあるかもしれんのは確かだな。」

「すくなくとも、脱出計画はあることだし。」とフランソワ。

「まだ使ってない機材も山ほど持ってきてるし」とD.D.。「実地テストもせずじゃあもったいないな。」

「おれはハラがへった。はやく帰ってステーキが喰いたい。」これはヘポピー。

「まあ、この際、楽天的に行きましょうよ。このお兄さんのノリにあわせても別に害はないでしょう?」そう言ってサティがウインクした。「運も実力のうちってね。」

そして、全員の目線が前を向いた。その瞬間、廊下側の割れ目から銃弾が撃ち込まれてきた。

「ヘポピー!バズーカでこっちの壁をぶち抜いてくれ!」N.K.が叫ぶ。「たしかこっちがエレベータの方角だ!」

「おし!みんな伏せろ!」ヘポピーがバズーカを撃ち、隣の部屋への穴が開いた。

「行くぞ!」D.D.が真っ先に突っ込んで行く。N.K.とケリーが牽制する間にサティ、フランソワ、ヘポピーと続き、ケリーとN.K.が盲滅法撃ちながら横っ飛びに飛び込んで行く。

D.D.がまた別のモニタグラスを降ろし、いま出てきた穴を覗き込み、引っ込んですぐに小さな機械を床に置いた。「こいつは『エージェント・ホイホイ』さ。」そう言うと、スイッチを入れる。すると、その機械はさわさわさわっと動きだして穴を抜けていく。「ドアの前にいるようにセットした。誰かが入ってきたら、催涙ガスと煙幕と花火が一気に吹き出し、ついでに超強力瞬間接着剤を撒き散らすんだ。少しは足が止まるだろうよ。」

その時、ヘポピーがさらに向こう側の壁に向けてまたバズーカをぶっ放した。煙が収まると、壁の穴の向こうにエレベータロビーが見える。ケリーが外の様子をうかがうと、たちまち弾丸の雨が降ってきた。

「おっと。」さっさと首を引っ込めてケリーが振り向いた。「エレベータは空いたまま、連中は反対側だ。乗ってドアを閉めるまでなんとかあいつらを食い止めなければならんな。」

「またバリケードでも作るかね。」ヘポピーはそう言うと、その辺の机をつかむと穴の外へ放り出した。3つ4つ廊下に放り出したところで自分も飛び出すと、その陰からバリケードらしく形を整える。「いいぜ!」

ヘポピーの援護射撃の間隙をぬってケリーとD.D.がエレベータに向かい、フランソワとサティが続く。そのとき隣の部屋のエージェント・ホイホイが発火し、モクモクと煙がただよってくる。

「来るぞ!」N.K.は腰の手りゅう弾を取ると安全ピンを引き抜いて煙の中に放り込み、身を翻してエレベータホールへ抜けた。

D.D.はケリーの手を借りてエレベータの天井に登る。ヘポピーはバリケード越しに廊下の奥に向かって撃ちまくり、N.K.は穴から向こうの穴の中に無闇やたらと撃ち込んでいる。

「ロックは外した。動けるよ!」D.D.の声が奥から聞こえた。「N.K.、ヘポピー!来て!」サティが叫ぶ。ヘポピーがエレベータに乗り、N.K.はまた手りゅう弾を放り込んでから駆け込んできた。

すぐさまドアが閉まり、エレベータは上昇した。行き先は一番上…屋上だ。


エレベータの外は熱帯のジャングルだ。いや、もちろん本物じゃない。ここの屋上は、コンピュータ廃熱利用の温室になっていて、熱帯雨林の環境を再現しているんだと。表向きは環境保護だ自然教育だとか言っているが、ときどきここでハンティング・ゲームをしているとかいう噂だ。それも動物狩りじゃない…マン・ハンティングだとか。メロの悪趣味の極地だね。

とにかく、一歩足を踏み出すとむっとした空気に生臭い匂いが混ざって襲って来る。まだ夜だが、透明なドームの向こうは都会のスモッグに街の灯りが反射してうっすらと鉛色に光っている。開けた足元はそれほど暗くはないが、道の脇にびっしりと生えた木々の中は真っ暗だ。

おれが最後にゆっくりとエレベータを出たところで、急にうしろでエレベータが閉まった。はっとして振り向いた時には、もう表示は下に向かうエレベータを示していた。

「まずった!エレベータが行っちまった。すぐに上がって来るぞ!」おれが怒鳴った時には、もう左右の茂みから数人の黒い影が飛び出してきていた。

迷彩服を着てマスクをかぶった男が7、8人、刃渡り30センチはあろうかというサバイバルナイフで襲いかかってきた。気が付いた時にはもう混戦模様で銃を使うわけにもいかない。考える暇もなくおれも参戦し、サティとフランソワに向かっていた男にとび蹴りを食らわせながら叫んだ。「下がってろ!」

ヘポピーは手当りしだい捕まえては持ち上げ、投げ飛ばしている。D.D.はなにか光る棒みたいな物を振り回している。ケリーの手もとには、なにか細い針みたいなものが光っている。するすると攻撃を避けながら、さっと敵の首筋に触れるだけであいてはくずおれて行く。毒鍼か?まあいいや、おれは自分のサバイバルナイフで斬りつけてきたナイフをはねとばして小手を決めた。

「きゃあ!いやーん!」小さな悲鳴に振り向くと、フランソワとサティのほうに二人の男が迫っていた。こっちも二人を相手にしてるのですぐには身動きできず、やばいなーとは思った。

すると、フランソワはハンドバッグから護身用の催涙ガスボンベをさっと取り出して、真正面から吹きつけた。あいてがたじろいだその一瞬の隙に、サティはジャンプすると一人の胸元にきれいなとび蹴りを見舞い、ふっ飛ばして着地すると同時にくるりと旋回して、もう一人の後頭部に回し蹴りを入れ、あっさり打ち倒した。なんてこった、見事なカンフー、それも相当な使い手の優雅に流れるような動きじゃないか!?なーにが「カヨワイ女の子」だよ、おーこわ!おれは安心して目の前のヤツに正拳を叩き込んだ。「あちょちょちょちょ〜っ!」

とりあえず、全員片付けたところで、おれはサティに言った。「すげえカンフーだな。どこで教わったんだ?」

「おばあちゃんのとこのセラフに教えてもらったの、ダイエットにもいいのよ。N.K.、あなたのはカンフーじゃないわね?」

「ああ、オレのは柔術の流れだ。拳や蹴りだけじゃなく、投げや締めもありでね。」

「ふーん。そのうち、いちどお手合わせ願いたいわね。」

おれは何と答えていいのか解らなかったから、黙っていた。こいつ、寸止めなんてしそうもないからな!

「こっちよ!」フランソワが道を指さし、おれたちは曲がりくねった道を駆け出した。ちょうどエレベータが見えなくなる瞬間、ドアが開いたように光った。

「追っ手がきたぞ!」そんな声をかける間もなく弾丸が飛んできた。次の角を曲がると、ちょっと視界が開け、道は吊り橋に続いていた。幅5メートルほどの川にかかっている。ケリーを先頭に走って渡り抜ける。不安定な床板のせいで、走りにくそうだ。おれは振りむいて、追っ手に向かって掃射し、後ずさりしながらさらに牽制する。そして、振り向いてダッシュしようとした瞬間、敵の弾が右脚をかすめておれはすっ転んじまった。マシンガンが手を離れて転がっていく。

「N.K.!」気配を察したサティがさっとマシンガンを拾い上げると、そのまま腰だめで撃ちはじめた。セオリーも何もあったもんじゃない、ただ引き金を引き絞りっぱなしで撃ちっぱなし、ただただ弾丸を振りまいてる。おれは頭を上げることもできず、そのまま転がって火線を逃れた。

ガチンッという音がして銃撃が止む。マガジン一個そっくり撃ちつくしたんだ。彼女はまだ煙の立ち上っている銃口を構えたまま、一言つぶやく。「快…感…!」

おれは立ち上がって銃をうばい取ると、マガジンを交換する。その時、後ろの吊り橋が爆破された。川沿いに新手の奴らが現れたんだ。マズイ、挟まれちまう!おれは道を行った他の連中の後を追うのはあきらめて、サティの手をとり横の茂みに飛び込んだ。

「なんでさっさと橋を渡んなかったんだよ!」走りながら、おれはサティに怒鳴った。

「何いってんのよ、あんなとこで転んだくせして!それにまあ、これでおあいこってとこかしらね、携帯の分と。」…まあ、義理堅いこって。だが、もうこんなハッピートリガー娘には二度と銃を持たさんぞ!

おれたちは川沿いにすすんだ。だが、川幅は次第に広くなり、もう大きな沼みたいになってきた。

「向こうに行くには泳ぐしかないかな?」おれの独り言を聞き付けたサティが言った。

「無理ね。この沼にはワニやらピラニアやらがうようよしているのよ。…吸血ヒルも。死んでも水に入るのはいやよ!」

そういいながらも、後ろでは追っ手の気配がしている。まるで見通しがきかないからどのくらいの距離を稼いでいるのかは解らないが、すこしでも見えたら撃って来るのは間違いない。対岸の方でも銃撃の音が散発的にしている。それでも連中は急速に移動しているようだ。おれたちは先を急いだ。

突然、対岸のジャングルが途切れ、背の高い草の絡まった空き地になった。こちら側の方が若干位置が高いのか、けっこう草地全体が見渡せる。そして、そこに連中が飛び出してきた。ケリーの頭がひょいと出たかとおもうとすぐ引っ込み、草のざわめきがいくつか進んで行く。なんだ、ヘポピーのヤツ、頭は隠れてるがバックパックが上に飛び出してやがんの!まあ、あの図体だと中腰でもあの高さはしょうがないか(笑)。

そして動きが止まったと思ったら、いきなりロケットが打ち出される。2、3発ずつまとまって三方に分かれて飛んで行き、視界を出たっと思ったら爆発音とともに空を覆うドームが崩壊した。まあ、ドームと言ってもわずかな気圧差で膨らんでいるだけだし、一か所でも破けてしまえば素材自体の張力で縮んでしまうような代物だ。枠組みとなるフレームがへなへなと崩れ落ち、あっという間に跡形も無くなった。

…なんて、ゆっくり眺めている場合じゃない。これで、30秒もすれば救援ヘリが来る。だが、それはあっちの話だ。おれとサティは沼のこっち側。なんとかしてあっちまで行かないとおいてきぼりだ。左右を見回したが沼を渡れそうなところはない。もうすこし行ったところでわずかに狭くなっているが、それでも優に30メートルはある。そして、沼の中程には、丸太のようなものがごろごろしている。丸太?とんでもない、ワニの群れだ。水面に見えている部分だけでも1m以上ありそうだ。

後ろのジャングルをぐるっと見回してみたが、とても船やいかだになりそうな物はない。こっち側は背の高い木が水際まで迫っていて、太いツルが絡まりながら垂れ下がっている。材木があればツルでいかだは作れるかもしれんが、そもそも木を切る道具さえない。おれのサバイバルナイフじゃあ日が明けてまた暮れちまう。

その時、かなり太いツルが、水際の木の相当高いところから垂れ下がっているのに気がついた。それも何本かが絡まって、かなり丈夫な縄みたいになっている。おれはその下へ行き、ナイフで下の部分を切り離した。引っ張ってみるとかなりしっかりしている。これなら行けるかも。

「サティ!こっちだ!」おれはそのツルの先をつかみ、それを引きずりながら沼から離れて奥へ入って行く。

「何する気よ?」「いいから!…うん、こんなもんかな。この木に登れ!早く!」

サティに先に行かせ、おれはツルを口にくわえて木に登る。結構登ったところの太い枝で待っているサティに追い付いた。

「いいか、ここからこのロープでジャンプする!あっちに振り切る前に手を離して、向こう岸まで飛ぶんだ!」

「正気なの?これでそんなに飛べる訳がないでしょ!ワニさんの真ん中に落ちるだけよ!」

「いや。おれたちはエージェントに追われた時、ビルとビルの間をただジャンプして渡ってるんだぜ。さすがにこの沼はただジャンプというわけにはいかないが、このロープで弾みをつければ、きっと飛び越せるさ!」

おれは、その手のジャンプはジャックインした者同士でしかしたことが無いことを言わなかった。サティと一緒で飛べるか?一抹の不安がよぎる。

そのとき、サティがおれのほおにチュッとキスした。「おまじないよ。これでうまくいくわ。」

それですっかり、おれはできると確信した。「いくぞ、おいらのプリンセス!そらっ!」

おれは片手でツルのロープをつかみ、もう片手でサティの体をしっかりと抱きしめて、二人一緒に跳んだ。

ロープにぶら下がったおれたちは、沼の水面をかすめて飛び、ちょうど口を開けるワニの上あたりで手を離した。もう、なにも考える間もなく、あっというまに水面を超え、向こう側の草地のなかへ転がり込む。

「サティ!」「N.K.!」互いに声を掛け、そのまま真っ直ぐ突っ走る。ヘリの風圧で草がなぎ倒されて走りづらいが、どこにヘリがいるかだけは見なくてもわかる。

そして、銃声が響き、また連中が撃ち出した。追っ手も草原に出てきたようだ。そのとき、目の前の草が途切れ、離昇寸前のヘリの前に出た。

「はやく!」ヘリの中からケリーが叫ぶ。おれは振り向きざまマシンガンをぶっ放してサティを援護した。サティが飛び込んだのを横目で見て、おれも横っ飛びにヘリの入口にしがみつく。

「つかんだぞ!」「上がれ!」撃ちまくるケリーの横で、おれはヘポピーにつまみ上げられたままの格好のまま、ヘリが急上昇する。D.D.が最後のお土産に手りゅう弾をありったけ落っことしている。

おれたちのヘリは真っ直ぐに上昇し、それからわずかに白みかけてきた東の空へ向かった。


「かんぱーい!」

私たちは祝杯をあげた。別ルートから再ジャックインして、ひと足さきにアジトで待っていたアッシュも一緒。いつもはビールは苦手なんだけど、今日はなにかおいしいわ。やっぱり運動したせいかしら?もういっぱいもらおうかしら。

「やーやー、うまく行ったな。大した怪我もなく。」というヘポピーが一番傷だらけね。なんでも、向こうではいきなり虎に出くわして、ヘポピーが大立ち回りの末やっつけたんだとか。何か所か引っ掻かれたらしいが、それでも絆創膏で止める程度のようね。他はみんな擦り傷程度。むしろ、私の脚の方がひどいくらいだわ。あの衣装に布の靴でジャングルを走り抜けるのはちょっと無理だったわね。まあ、次は無いと思うけど。

「しかし、見たかったな、N.K.とサティが沼を飛び越えるとこ。ターザン顔負けだって?」アッシュが笑った。「ま。こいつにはぴったりだけどな。」

「それはそうと、データは?」N.K.があわてて話題を変えた。「もう吐き出したのか?」

「ああ。だいたいは済んだ。もう打ち込んでディスクになってる。お前と違って、おれは両手の指10本使ってタイプするんでね。しかし、なんだい、あのソースコードは?メロのアジトやスパイのリストは解るが、プログラムの中身まで解析してる暇はなかったんだ。」

ケリーは私を横目で見た。私は説明した。「あれが、パパからメロビジアンに渡ったプログラムよ。」

「…そうか。だが、それは危険だから消去するんじゃなかったのか?」N.K.が聞いた。

「ええ。ヤツの手もとにある物は消去したわ。もう危険はない…、使い方さえ間違わなければ。エグザイルを脅かすために使われたとは言え、そもそも、このプログラムはそのためのものではなかったの。むしろ、エグザイルのためになるはずのものだったのよ。」

「メロビジアンは、あれをエグザイルを抹消するために使った。」D.D.が説明する。「だが、あれは本来、エグザイルの体であるシェルを直接制御するためのツールなんだ。シェルを停止させ、終了させることができる…、そして、新しいシェルを起動することもできるんだよ、実は。普通、エグザイルになるには、なんとかして起動しているけれど使われていないシェルを手に入れなければならない。それは厳重に管理されているし、バグやバックドアから盗んだり、あるいは本来の所有者を抹殺するといった不正な手段で入手することのできる数はきわめて少ない。だからこそエグザイルの数も少ないのさ。」

「でも、あのプログラムを使えば、かなり自由に新しいシェルを作ることができる。もちろん、リソースなんかの材料はいるけど、それでもマシンシティから逃れてきたいプログラムにとってはかなりの福音になるはずだったの。パパはそれもあって、あえて危険を犯してあれをメロビジアンに渡したのよ。ところが、あいつは、本来の機能は全然使わずに、ただの脅しの武器にしてしまった…。」

「とにかく、ヤツはもう使えない。それだけでも御の字だったんだが、首尾よくこっちには取り戻すことができた。これで、おれたちの勢力は大幅に強まるだろう。仲間も増えるしな。」ケリーが引き継いだ。「マシン・シティでは、競争で負けたというだけで消されて行くプログラムがたくさんいるんだ。ヘポピーはトラックでこっそり連れて来ることができるんだが、いかんせん受け入れるシェルがないと手の打ちようがなくてな。だが、もう大丈夫だ!だれでもつれて来れるんだ!」まったく、ケリーのあんなに嬉しそうな顔を見るのは初めてね!

「なーに、ケリー、妙にはしゃいでるじゃないの?これで恋人でも連れてこれるってわけ?」あらっ、当てずっぽうだったのに、ケリーったら照れてる!そっかー、そーゆーことだったのね。

「そっちはどうだったんだい?なにかわかったかい、ネオについて?」D.D.がアッシュに聞いた。

「ああ。No.1からNo.5までの話はショックだったが、おれたちには関係のない歴史の話だ。おれたちのネオについては、…ほとんどは解っていることばかりだった。休戦以後の情報は全くない。あの時何が起こったのかも何一つ記録されていなかった。だが、…。」

「だが、何だよ!」失望の色が隠せないN.K.が先を促した。

「ひとつだけ、これまで全く聞いたことのない情報があったんだ。おれには何のことだかわからない。それも大して長いものじゃあないし。『LOG HOUSE』、それにアルファベットと数字の羅列、…それだけだ。なんだか解るかい?」アッシュはみんなを見回して聞いた。

「ログハウスってのは、マシンシティの記録保管庫のことだ。」ケリーが言った。「おれも詳しいことはしらん。ただ、ありとあらゆる記録が…マシンやソフトの設計から動作ログ、研究材料に至るまで…記録されている所だと。これまでその生データを見たと言うヤツにはお目にかかったことがない。実在するかどうかも確認できないが、マシンの習性からすれば、そんな記録庫があってもおかしくないだろうな。」

「わたしも聞いたことがある。むかし、何かの時にセラフが口にしたのよ。たしか、かれはそこの警備についたこともあるって。彼ならもっと詳しく知っているかもしれないわ。」

「セラフって…むかしオラクルの護衛についていたあのセラフか?そういえば、あんたはセラフにカンフーを習ったって言ったな。戦後すぐ、オラクルもセラフも一切姿を見せなくなったってじっちゃんが言っていたけど。」N.K.はサティを見つめた。「会ったことがあるのか?サティ?いつだ?」

「そうね、一年くらい前かしら、この所会ってないけど。子供のころはずっと一緒にいたわ、私はおばあちゃんのところで育てられたんだもの。あ、おばあちゃんってオラクルよ、言わなかったかしら?」

「オラクル!オラクルも生きているのか!一年前だって?会えるのか?連絡はつくのか?!」

立ち上がって問いつめるN.K.の、あまりの真剣さにわたしは気圧されて、うっかり言ってしまった。「え…、ええ、会えると思うわ。」

「たのむ!すぐに連絡をつけてくれ!セラフにもだ、ログハウスについて聞きたい。聞きたいことは山ほどあるんだ。」

「でも…、セラフはともかく、オラクルはめったに質問には答えてくれないわよ。いいえ、答えてくれるんだけど、その意味が分からないの…。結果がでて初めて納得するのよね、みんな。」

「なんでもいい、とにかく渡りをつけてくれ!…こんなに苦労して、ネオの唯一の手がかりはそのログハウスとやらだけなんだから、その線を追求するしかないんだ。いいだろう!?たのむよ!サティ!」

私の手を握って頼むN.K.の目には、あのきらめきが宿っていた。顔かたちも、目の色も全然違うというのに、突然私の脳裏に浮かんだのは、にこやかに笑いながらも張りつめた意志を秘めていたネオの顔だった。最後に会ったときのネオの顔…。わたしはこの手の表情にめっぽう弱いのよね、むかしから。

「いいわ。連絡してみる。手伝えることがあれば協力するわよ。わたしもネオにもう一度会いたいし。」

わたしはまだこのとき、やっと迷宮の入口にたどり着いたばかりだとは夢にも思わなかったのよ。

  

(2003.12.17)


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