Matrix Restart

Written by TOMO
Based on "Matrix" trilogy



迷宮(パート3)


いよいよ決行の日だ。

おれは若干不安だったね。いや、作戦じゃなく、格好が、だ。ちょっとキメすぎ(笑)かな、と。全身黒のツナギに、弾薬のいっぱいぶら下がった黒の弾薬ベルトでウエストを締め、ブーツはむろん黒の編み上げ。頭にはこれまた黒のキャップで額まで覆い、のこりの顔にはたっぷり黒のドーランを塗ってある。肩にはH.K.のノーマルタイプサブマシンガンを掛け、脇の下のホルスターにはベレッタ、太ももにはサバイバルナイフがくくり付けてある。たかがデータセンター襲撃にしてはちょっとおおげさかもね。

おまけに、横にいるアッシュの格好は、というと…。ひざに穴の開いた黒の(元は、だ。グレーに見えるくらいすり切れてやがる)ジーンズにハーフブーツのバスケットシューズ、それにノースリーブのTシャツ。それに愛用のS&Wを腹に突っ込んでいる。一応ヤツにしちゃ地味と言えるかもしれんが、それでもまったく普段着のまま出てきたようなもんだ。まあまがりなりにも気分だけということで、年代物のAR-M16(グレネードランチャー付き)とを抱え、その弾薬帯を肩に引っ掛けているが、その無骨さがよけい目立って妙にアンバランスにみえる。

まあ、いいか。格好はそれぞれの好みだし。おれはそう思うことにしてとにかく集合場所の車庫へむかった。そこにはもう他の連中があつまっていた。…。そこで連中の格好を見て、おれの不安はふっ飛んだね、みごとに。なんだこりゃ!?

まっさきに目に付いたのはヘポピーだ。でかい図体がさらになにか異様にふくれあがっている。服装はいつものヒッピースタイルだが、その上から、左右たすきがけに黒光りするベルトが掛けてある。よくみると、それはH.K.のマガジンを繋いだ弾薬帯なんだが、ヤツの図体のせいでただのベルト程度の太さに見えるんだ。そして、持っているのはおれと同じH.K.のショートタイプなんだけど、まるであいつが持つと拳銃のPPK程度にしか見えない。そして、なにか背中に冷蔵庫みたいなバックパック、それもおれくらいなら余裕で二人は入れそうなサイズのやつを背負っている。

「な、なんだい、そのデカぶつは?」おれはヘポピーに聞いた。

「や、来たな。うん、半分はD.D.のおもちゃと弾薬さぁ。あいつは自分の工房まるごと持って行かないと気が済まないみたいでね。」ヘポピーは人のよさそうな笑顔を見せた。「あとの半分はバッテリーだ。」

そう、おれたちの目的はあそこのデータだから、コンピュータをつかわなきゃ話にならん。でもだれかが電力消費量をモニターしていれば、不正な活動がばれるのは時間の問題だし、侵入がばれればコンピュータ用の電源が落とされるのは目に見えている。それでも目的を達するためには自前の電源を持ち込むしかない。スタンドアロンとはいえ、全システムをすくなくとも30分は維持できる電力供給能力がいることを考えれば、このサイズでそれだけのパワーが出せるのは驚くべきことだが、それを軽々と担ぎ上げるのもまた別の驚きだ。しかも、それは荷物の半分だと?こいつ、本当はトラックドライバーじゃなくてトラックそのものだったんじゃないのか?そのとき、陰に隠れていた(ヘポピーが前にいたら誰だって隠れるさ)D.D.が出てきた。

こいつがまた、なんというか…。こいつはつなぎを着ているんだけど、妙にやわなやつでオレのとはモノが違う。どうやら半導体工場で使うような静電気のたまらないヤツのようだ。そして、あちこちにあるポケットやソケットには、めったやたらと工具やら定規やら関数電卓やらが突っ込んである。それに、いちおうプロテクターなのか、他の機能があるのかはともかく、見事にすきまなく訳の解らんガジェットがいっぱい張り付いている。頭には妙にあちこちと出っ張りのあるヘルメットをかぶり、目の上にはグラス・モニターが何重にも跳ね上げてある。どうやら必要に応じてモニターを下ろし、組み合わせて使えるような案配だ。たしかにベースは人間の体だが、全体としては、なにかほとんどロボットみたいだ。これでも足りなくってヘポピーに持たせてるって?はあ。

メカには強いアッシュは放っておいて車の方をみると、ドアの開いた助手席にフランソワがちんまりと座っていた。こっちはこっちで、気が抜けそうな、…なんというか、「エレガントさ」とでもいう雰囲気をただよわせている。深紅のスーツ(大きなボタンがアクセント)にスリムなスラックス、さらっとスカーフを首に巻き、金髪は邪魔にならないようにヘアバンドで止めてある。ひざの上にはちっぽけな(でもやたら高そうな)ハンドバッグ、手は白いカシミヤの手袋、足元は、…なんとハイヒールじゃないか!本気か?おれは思わず言っちまった。「フランソワ!いくらなんでもハイヒールはまずくないか?」

「あら、N.K.。靴は必要なら突入する時に脱ぐわよ、もちろん。私は素足のときに一番振動を感知するのよ、知らなかった?ヒールはある程度まで感度を落とすためなの。」…失礼いたしました、お見それしました、マドモワゼル。おれは照れ隠しに車の前にいるケリーに目を向けた。

ケリーのだんなは、まあ、まともというか、ハードボイルド小説の探偵スタイルまんまというか…。よれよれのレインコートがひざの下まで届いている。一見したところ、派手な武器は持っていないようだが、丸腰であるはずがない。「やあ、ケリー。あんたの荷物は車の中かい?」

「いや。私に必要なものはこれだけさ」そう言ってケリーはレインコートの内側を見せた。そこには、色とりどりのダーツの矢がびっしり並んでいた。

「ただのダーツだけじゃないぜ。爆裂弾やら照明弾、ワイヤ付きから麻酔薬、致死毒薬まで、もうより取り見取りさ。これなら音はしないし、投げるだけじゃなく使い方次第でどうにでもなる。回収すれば何度でも使えるしな。」
「すげえな。…そのコートは特注かい?」
「ああ。知り合いの外科医に仕立て屋を紹介してもらったんだ。そいつは外套に手術道具一式仕込んでたな。」
おれは、ダーツの腕についてはあえて聞かなかったね。

「みんなお揃いね!」サティの声に振り向いたおれは、文字どおり「ノックアウト」されちまった。

バレエの「白鳥の湖」を見たことがあるかい?そのプリマドンナの衣装から、ひらひらの飾りの部分を全部ひっぺがして、のこりを白黒反転させたところを想像してくれ。なんとなく解るかな、そんな感じの全身を覆う黒のレオタードにタイツがぴったりと張り付いている。足先はなにか布のトウ・シューズみたいだし、ウエストにはなにか柔らかな布を巻いているが、締めていると言うよりはまつわりついているだけ、といった危うい風情だ。体形がそのままシルエットになっていて、なにかもう裸以上に挑発的だ。そこに例の“楽しくってしかたがないわ”てな顔がのっかり、その上に長い黒髪がひっつめ編みでまとめられている。それだけ。おれは絶句したまま、しばらく見とれた(もとい、あきれた)あと、やっと武器も防護材もなんにもないことに思い当たった。こいつはこれから何をしに行くのか解ってるのか?まったく、女って奴は、どいつもこいつも!

「その…格好は…」おれが口ごもると、サティは腰をくねらせて言った。「どお?」

「すげえ…いや…そういう問題じゃなくて」おれは目のやり場に困って言った。「大丈夫なのか、そんなむき出しで?」

「どこがむき出しですって?肌はぜんぜん出てないし、なんたって動きやすいのよ、これ。だいたい、私はコンピュータにたどり着くまでは用無しだから、みんなのあとからついて行くだけ。ごっついボディーガードさんもいることだしね。頼りにしてるわよ、私の族長さん!」

おれの肩をぽんと叩いてさっさと車に乗り込むサティを呆然と見送ってから、アッシュのニヤニヤ笑いに気が付いた。くそっ、また変なところを見られたか。おれはなにも言わずにさっさと車に向かった。


おれたちがデータセンターの前に着いたのは、ちょうど午前2時半…草木も眠る丑三つ時ってところか。駐車場入口の見える位置に車を止め、ケリーが運転席を降り、おれと交代した。

「じゃ。」彼は軽くうなずくと、おれの目の前で消えた。そう、解っちゃいるがいつ見てもやっぱりぎょっとするね、ヤツの消身の術は。そして5分もすると、駐車場入口の遮断機がすっと上がる。おれは車を駐車場に入れた。

駐車場の警備室ではケリーが待っていた。足下には警備員が3人転がっている。

「殺したのか?」おれはケリーにささやいた。

「まさか、眠らせてあるだけだよ。この連中はかたぎの警備員だ。忘れたのか、HALのある階以外は通常の警備システムだし、警備員もみんな普通の人間だ。手荒なことはするなよ、憶えておいてくれ。」

おれは口を開けて転がっている連中を見ながら、なにが「手荒なことはするな」だよ、と思ったね。

車を降り、ヘポピーが機材を降ろしにかかっている間に、おれとケリーとフランソワはさっさとエレベータに向かった。最初の「関所」を先に行って「開けて」から、残りのメンバーが上がる手はずだ。通常、この時間帯は夜番の保守要員以外はいないはずだ(警備員は腐るほどいるはずだが)。もっとも、おれたちの行き先は通常の行き先じゃないがね。

ここは、ビル全体が賃貸しのデータセンター用設備になっていて、フロアごとにさまざまな会社が利用している。エレベータは各10フロアごとに専用のものがあるから、その他の階は素通りするしかない。逆に、区切りの10フロアを跨いで移動しなければならないときは、一旦下までおりて乗り換えなきゃならん。ま、その面倒さをセキュリティと勘違いしてありがたがってる奴らがいっぱいいるってことだがな。そして、メロのデータセンターはその一番上の20フロア、ということになっているんだ。ただし、表向きは、ということなんだけど。

もちろんビルそのものもヤツの持ち物だから、自分のところは特に面倒にしてある。下から上がるエレベータは最初の1フロア(101階)までし行かない(そもそもそこまでしかない)。その階にはもちろん受付という名の「関所」があり、それからもう一度別のエレベータに乗り換えて上へいくことになっているんだ。111階から121階までは専用のエレベータで、行くことになる。数が半端だって?そう、113階は抜けてるんだ。エレベータにはボタンすらない。よくあるだろ、「13」は縁起が悪いって使わないビル。だが、今回のおれたちの目的地はその113階…無いはずのフロアだ。エレベータは、どこかのセキュリティセンターからの指示でないとその階には止まらない。普通にエレベータに乗っていたのでは、1フロア飛ばしていることにはまず気が付かないだろう。ヤツは本当に限られた者しか知らないフロアを隠し持っていて、そこに最高機密データをおさめたHAL8501を置いているのさ。

もちろん、おれたちには大して面倒なことはなかった。エレベータが開くと、これ見よがしに拳銃をぶら下げた警備員が二人、立ち上がって近寄り、おれたちを誰何した。「お二人とも何か御用ですか?こちらへ。」おれとフランソワは言われるままにエレベータを降りた。「えー、あのー、こんばんは、へへ。」おれはアホ丸出しって感じで言う。すると、連中の背後で受付に残っている別の二人が急に崩れ落ちるのが見えたと思ったら、すぐに目の前の二人もばったりと倒れた。背中にはそれぞれダートが立っている。まったく、ケリーがメロのヤツにやらされそうになった「酷いこと」の想像がつくぜ。

「他にはいないわ。警報もなし。静かなものね。」姿を現したケリーにフランソワが報告する。おれはうなずいてエレベータに戻り、下におりた。そう、おれは単に伝令要員でついて行っただけなのさ。下で待機していたメンバーと一緒にふたたび上へ上がる。関所で合流したおれたちは、もう一つのエレベータに乗り込んだ。サティが[112]のボタンを押し、エレベータはすぐに上がってドアが開いた。フランソワとケリーが見張りに立ち、D.D.がヘポピーに持ち上げられて天井板を外し、上に登る。すぐにロープが降りてきたので、ヘポピーが登り始める。おい、おまえ通れるのかよ、そんなちっちゃな穴を?ヤツは器用に体をすり抜けさせ、上に消えた。しばらくなにかごそごそやっていたが、すぐにD.D.の声がした。「OKだ。乗ってくれ、引きあげるぞ。」

フランソワとケリーがまたエレベータに乗り込み、「いいぞ。」と声をかけた。すると、なにか床がぐらっと揺れたかとおもうと、エレベータがまた上がりはじめた。ただし、スムーズな動きではなく、ぐいっ、ぐいっていうような動きだ。ヘポピーがエレベータワイヤをたぐり寄せ、引っ張り上げているんだ。ったく、限度ってもんを知らんのか、あのバカ力は!

そうこうするうちに、エレベータは次の階の位置に来た。外のドアは閉まったままだが、小さく「113」と書いてある。

「止めろっ!ピッタリだ。」ケリーが指示する。なにかを打ち込むような音に続いてなにかごそごそやる気配がして、「OK。固定した。」とD.D.。すぐにヘポピーが降り、続いてD.D.も降りてきた。

「いいか、ここからがヤツのフロアだ。もう普通のフロアじゃない、解ってるな?」ケリーが念を押す。

「へいへい、先刻ご承知でんがな。」アッシュがおどけて答える。

「ま、おまえはケツを蹴飛ばされなきゃ本当には解らんだろうけどな。」ケリーが言う。「いいだろう。ヘポピー、開けてくれ。」

ヘポピーはなにかバールのような物をドアの隙間に差し込み、ちょっと隙間を空けるとさっさと指を突っ込み、両手であっさりドアをこじ開けた。


エレベータの外は真っ暗だった。エレベータの明かりも数m先までしか届いていない。なにもない普通のエレベータ・ロビーから真っ直ぐに暗闇のなかに廊下が続いているようだ。ドアを開けたヘポピーが前に出ようとした瞬間、フランソワが叫んだ。「待って!」

「へっ?」あまりの真剣さに硬直したヘポピーがたららを踏みながら後戻りする。

「レーザーよ。D.D.、メモ用紙かなにかないかしら?」フランソワは受け取ったメモ用紙を垂直にたててゆっくりエレベータの外に差し出した。10cmほどいったところから、単純に紙が二つに切れ、上下に別れていく。火も煙もないが、かすかになにか焦げるような臭いがした。

「普通の目にはまったく見えないけど、極細の超高温レーザーが30cm間隔で張ってあるの。レーザー・メスみたいな物ね。そのまま出たら、きれいにスライスされちゃうところね。」

「なにか防ぎようはあるのか?」とヘポピー。

「よほどの耐熱シールドなら防げるかもね。でももっと簡単なことがあるわ。D.D.、あなたきれいな鏡持ってきてない?鏡ならレーザーを反射すると思うんだけど。」

「いや、ごめん。そんなものは用意しなかったんだ」「そう。ほかの誰かは?」

「普段だったらお化粧道具を持ってるんだけど…」サティも首を振った。そりゃ―そうだろう、何か持っていたら不思議なくらいだぜ、あのコスチュームじゃ。

「そう…。しょうがないわね。私のを使うわ、駄目になっちゃうかもしれないけど。」そういってフランソワは自分のハンドバッグからコンパクトを取り出した。おいおいフランソワ、人のはダメになってもいいのかよ。

とにかく、フランソワは自分のコンパクトの鏡部分をゆっくり差し出した。瞬間ふちの部分が融け落ち、そしてすぐ鏡の部分に入ると突然横の壁に赤熱した斑点ができた。彼女はそれを見ながら鏡の向きをゆっくり動かし、それにしたがって赤い斑点が移動していく。そしておれのところからは見えなくなって、急に「ジッ」という音がして、彼女は鏡を戻した。「これで一つね。」彼女はレーザーをまっすぐ反射して発射機構に当て、焼き切ったらしい。続けて二つ目、三つ目と同じ作業を続けた。

「…、これでいいわ。ここから下は全部大丈夫よ。」フランソワはエレベータを出ると1.5mくらいの所に手を上げた。「この下をくぐってちょうだい。」

みんなすんなりとくぐって出た…ヘポピー以外は。ヤツだけは巨大なバックパックを背負ったままではヤバそうなので、バックパックを降ろして先に押しだし、それから本人が出てきた。

揃ったところで、おれたちは隊形を整えた。先頭はケリー、そのすぐ後にフランソワが前方の罠をチェックしながら続く。次にD.D.それからアッシュ、ヘポピー、サティの順、しんがりはオレだ。後ろの警戒はおれの責任ってことだ。

「行くぞ。」ケリーの合図で廊下を進みはじめた…と思ったら、ほんの20mもいったところで急に明かりがついた。廊下の突き当たりに、赤いジャケットを着て黄色の薔薇を胸にさし、キザな椅子に腰かけて足を組んでいるメロビジアンがいた。

ケリーは物も言わず懐からダートを抜き出して投げた。ダートは真っ直ぐヤツの眉間に刺さった…はずだが、その瞬間火花が散ってダートが消滅し、ヤツはにやにや笑っている。そして立ち上がって言った。

「ようこそ、諸君。招かれざる客が歓迎されない客とは限らないのだよ、とくに私のところではね。わたしの歓迎が気に入るかどうかは保証しないが、すくなくとも私は楽しませてもらうよ。」

「ホログラムよ。実体はないわ。おそらく録音でしょう」フランソワが告げる。「でも、危険だわ。ホロの部分にはさっきよりもっと強いレベルでレーザーの焦点が合っている。ホロにふれると焼けちゃうわよ。しかも。あれは動き回る。捕まったら最後ね。」

こっちの様子にはおかまいなしにホロのメロはしゃべり続ける。「まあ、せっかくここまで来てくれたのだから、わたしの抱擁を受けてくれるだろうね。わたしのいつもの挨拶だと、抱き合って右・左・右のほおを合わせるんだが、まあ、紳士諸君は握手でもいいだろう。だが、淑女のみなさまにはぜひお近付きのキスをいただきたいところだね。」

くだらんことをしゃべりながら、ヤツはゆっくり近付いて来る。ただ単にレーザーで攻撃して来るほうがよっぽど素直だろうに。あの変態野郎、完全に遊んでやがる!

「もちろん、わたしは無理強いはしないよ。いやなら強制はしない、ご自由にお通りくだされ。ただ、私は挨拶したいだけなので、ちょっとした気まぐれで手を出すかもしれん。それを避けれるかどうかは諸君の動き次第ということかな。まあ、童心にかえって鬼ごっこのつもりで楽しんでくれたまえ。オニはわたし、捕まったものは負けだ。おっと、諸君のゴールは後ろの角をまがったところだ。そこまでたどり着いたものには、もうわたしは手をださない。私のモットーは「フェアな取り引き」だからね。もういいか〜い?」

「なーにがフェアだよ。信用できるかよ?」おれはつぶやいた。すると、サティが言った。

「あいつはあいつなりにフェアよ。嘘はつかない…プライドが許さないの。それに、勝負の見えた賭けでは面白くないって、わざと自分にもハンデをつけて、獲物にも必ずある程度の可能性は残して「ショウを面白くする」のがヤツのやり方よ。少なくとも、獲物を“持てあそぶ”ときはね。」その冷静な口調が、逆に彼女の嫌悪感を強調している。

「フランソワ、ホロの投射装置はわかるか?」ケリーが聞いた。

「ええ…いいえ。わかるけど、多すぎるわ。ここから向こうの角までの天井と壁一面に無数にあるのよ。全部潰すには天井と壁を全部壊すしかないと思う…通り道も一緒に無くなるけど。どう?D.D.、なにか手があるかしら?」

「うーん、煙幕じゃ役に立たんだろうしな…。」D.D.も肩をすくめた。

「じゃあ、しょうがねえ、ヤツのゲームに付き合ってすり抜けるしかないな。」アッシュがぶっきらぼうに言った。「まあ、足腰が心配なのは年寄りだけだろ。」

「よし。オレが牽制するから、隙をみて駆け抜けるんだ、フランソワ。」そう言ってケリーがじりじりとホロに近付く間に、フランソワはハイヒールを脱いで両手に持った。

壁際を進むケリーにあと1mくらいのところでホロが急に前にダッシュした。ケリーも後ろに飛び退き、その隙に反対側の壁際をフランソワが駆け抜けていく。一瞬ホロの視線が逸れた時、ケリーは姿を消し、床を蹴る靴の音がして数秒後にホロの脇をすり抜けて向こう側の床に転がるケリーの姿が現れた。かれはまた立ちあがると、またダートを取り出してホロに投げた。ダートが当たって燃え上がり、ホロはケリーの方に向き直った。ケリーは一瞬D.D.に目くばせを送り、すぐに視線を別のところに投げた…だれもいないところに。そしてそのまま、またホロに近付く。また同じようにホロが攻撃し、その隙にD.D.も駆け抜けた。

ヘポピーはその様子をじっくり見ていた。おれはあの図体でどれほどの早さで駆け抜けることができるんだろう、と不安だったが、それも大きなお世話だったね。ヤツのダッシュは誰よりも凄かった。ゼロヨン命のスタートダッシュで突っ切っり、そのまま走り抜けて正面の壁に手をついてやっと止まったくらいだ(笑)。

しかし、簡単だったのはそこまでだった。急にホロの動きが変わった。両手を大きく拡げ、前だけでなく後ろにも注意を払いながら、すこし早いステップでやたらと動き始めたんだ。突然後ろを振り向いたり、意味も無く左右にステップしたりして、もうほんとに踊り歩いているみたいだ。これじゃあ動きの予測ができない…。しかも、ケリーがこれまでのように近付いても反応しない。そして、ほとんど手をあげるだけで届くところまで来てやっと、初めて気が付いたとでも言うようにすっと手をのばしてくる。ケリーは飛び退いた時、はためいた彼のレインコートの裾にヤツの手がわずかに触れ、嫌な「ジュッ」という音がした。

こっち側にいるアッシュもケリーのように慎重に近付いて、反応する間合いを計った。そして、ケリーと両方から牽制をしながらホロに近付き、そしてケリーの方をむきなおるホロのタイミングで逆側にダイブして転がり抜けた。

「サティ、こっちからも援護するから、うまく抜けるんだぞ。」おれはそう言ってホロと対面した。サティはすぐ横で身構えている。向こう側ではケリーとアッシュがじりじりと間合いを詰めている。おれは手を前にのばし、ホロにおいでおいでをしやった。ホロの目線がおれと合った瞬間、ヤツはくるりと振り返り、アッシュに飛びかかった。アッシュは飛び退いて怒鳴った。「このうすらボケ!おれを殺す気か、目線を読まれてるぞ!」

おれは…、すまん。おれはすっと前に出た。近付き過ぎたかな、と思った瞬間ホロが振り返りざまに回し足蹴りを打ってきた。おれは身を屈めて避けながら、目の隅で通りすぎるサティの脚を捉えていた。なんてピチピチできびきび動くんだろう…なんてことを考える暇はなかった(はずだ)。次の攻撃を避けておれは一旦後ろに下がる。ホロはなにごともなかったかのように、相変わらず両手で通せんぼをしてやがる。

おれはまたじりじりと近付く。向こうではケリーとアッシュが待ち構えている。3人でホロを囲む間合いがつまっていく。そのとき、またホロがさっと向こうへ振り向いた。そこにいたケリーが一瞬バランスを崩し、やばっと思った瞬間、よこからアッシュがケリーに体当たりを喰わせ、ふたりともすんでのところでホロの手を逃れて壁にぶち当たった。その一瞬の隙を見ておれは駆け抜ける…ことはできたかもしれない。おれは、ちょうどホロの真横で一瞬立ち止まったんだ。壁際で絡まっている二人よりもおれの方が近い位置にいたから、ホロはおれの方に目を向けた。その間にアッシュとケリーは立ち直り、うしろにふっ飛んでいくのを見て、おれももう一度ジャンプしてヤツの手を避ける。そして着地と同時にゴールへダッシュ!もう後ろには誰もいないから、ホロも追いかけて来る。おれはフェイントを2、3回かましてホロの手に空を切らせ、廊下の角を駆け抜けた。

息を切らせて振り向いたおれに向かって、角のところで立ち止まったホロが言った。

「まあ、これはただのご挨拶だよ。本当のご歓待はこれからだから、楽しんでくれたまえ!では、ごきげんよう!」そしてホロはメロビジアンは消えた。


みんなはおれが来るのを待っていた。一足先に来ていたケリーとアッシュが仲良く壁にもたれている。

「まったく、だから年寄りは無理すんなっての」アッシュが憎まれ口を叩く。「あんなところでこけやがって。」

「なにいってんだ、あれはフェイントだ、こけたんじゃない。」ケリーが言った。「…だが、助かった。ありがとよ。」

アッシュは一瞬驚いたような顔をし、そしてはにかんだような笑顔を浮かべ、すぐまた照れたように顔をそむけた。まったく素直じゃないなー、あの青少年は。

角の先の廊下は、左右にドアがいくつか並んでいた。廊下の明かりは灯いているが、ドアの中は暗いままだ。おれたちは用心しながら先へ進んだ。

ほとんど廊下の終わりまで来たとき、急に後ろでドアの開く音がした。おれは振り向きざまに拳銃を構え、「だれだ!」と叫んだ。そこにいたのは、汚いモップとバケツをぶら下げた、エプロン姿のお掃除おばちゃんだった。銃を突き付けられ、目を丸くして立ち尽くしている。びっくりして声も出ないありさまだ。おれは気が抜けて銃を握る手が下に落ちた。

「あんれまあ、ナニしてんだね、あんたらは。せっかく掃除したところを汚さないでおくれよ。まったく、近頃の若いもんは…。」とかぶつぶついいながら近付いてくる。

「くるなよ、おばちゃん。危ないからあっち行ってな。」とおれ。「そうよ、今日は帰った方がいいわ、きっと明日は忙しくなるわよ。」と横にいるサティ。

「なかなかそうも行かなくてね。あたしゃ忙しいんだ。」おばちゃんはモップを壁に立てかけ、バケツを下ろしてそこにかかっている雑巾に手をのばした。そして手をバケツの中に突っ込み、拳銃を取り出して撃った。

おれもサティもすっかり油断していたが、おれは一瞬早く気が付いて、サティの前に出て撃ち返した。おばちゃんの頭がガクンと後ろにのけぞるのと、おれの胸の真ん中に衝撃を感じるのはほぼ同時だった。おれは体ごと後ろにふっ飛ばされ、サティと重なって仰向けに倒れた。

「N.K.!大丈夫!?しっかりして!」サティがおれの頭を持ち上げ、胸に抱え込んで叫んだ。「N.K.!死んじゃダメ!」

おれは胸の痛みを堪えながら、でもまだ息があることに不思議な気がしていた。痛いのはちょうど胸の真ん中、心臓の真上だ。だが、こんなところに弾が当たったのなら、とっくに昇天しているはずだ。オレは訳が解らないながら、頭の後ろに当てられている柔らかいモノはなんだろうと考えていた。

「うっうーん…。」息をすると若干痛いが、それも次第に薄れて行くようだ。「私のせいで…。」サティの声がつまる。

「ああ、おれは…。おれは天国にきたのかなぁ?なにか柔らかいモノが頭に当たってるぞ。」そう言っておれは頭を振って目を開けると、覗き込んでいるサティにウインクした。一瞬ほっとしたような表情を見せたサティはすぐにぱっと立ち上がった。「なによ、もう!」おれの頭はそのまま床に落として。あつっ!こっちの方がよっぽど痛いぜ。

おれは立ち上がると、よってきた仲間に言った。「大丈夫だ、なんともなさそうだ。」

「あんたはほんとに間抜けだな、N.K.。サティ、あんたもだ。メロの「ご挨拶」のあとで普通のお掃除おばちゃんがウロウロしてるわきゃーねえだろう?それに、あいつを片付けたのはオレだぜ。だいたいが、お前さんの弾が当たるわけねーんだから。」アッシュがぬけぬけと言いやがった。

「まあ、結果よければ、だな。なんとか今回は、だが。次は無いぞ。」ケリーが締めて、おれたちは先に向かった。


次はまたドアも無い廊下が続いていた。とくになにも無さそうだし、フランソワもなにも感じないらしい。まっすぐ歩いて行くと、ちょうど廊下の中央あたりすこし右よりに小さなコインが落ちていた。錆びたペニーらしい。先をいくケリーもフランソワも無視して通り過ぎた。D.D.、ヘポピーも通り過ぎたところで、アッシュは何気なくそのコインを蹴飛ばした。そして、天井が落ちた。

急に天井が近くなったので、最初は自分が飛び上がったのかと思ったが、実際はいきなり天井全体が落ちてきたんだ。無意識に身を屈め、ふと気が付くと2mくらいのところで止まっている。一旦は1.5mくらいになったはずだ、と思って前をみたら、体中の筋肉を膨らませたヘポピーが仁王立ちになって、両手で天井を支えている。まるで地球を支えているアトラスみたいにがっちりと立っているが、よく見るとあちこちの筋肉がぷるぷると震えている。

「行け!…早く!」ヘポピーが食いしばった歯の間から絞り出すように言った。おれたちは彼の脇をすり抜けて次の角へ走った。

そこから見ると前の角からこの角までの天井が全部落ちているのがよくわかる。しかも、落ちてきた天井の断面はさらに上に続いているので、全体の厚みは想像が付かない。「ヘポピー!」

ヘポピーは全員が安全なところまで行ったのを確認してから、天井を支えながら一歩ずつ歩きはじめた。とはいっても、両手で支えるのが精いっぱいなので、歩くために片手を離すたびに天井が少しずつ下がってくる。最初は2mくらいの高さにあった天井が、もう1.7mくらいまで落ちてきた。だが、まだここまではあと10mはあるいてこなければならない!

もう、見ているわれわれも力が入ってしまう。あのヘポピーが額に汗をかきはじめた。筋肉ももうぱんぱん、震える余地もないくらいだ、それでもゆっくり、一歩ずつ歩みを進めるヘポピー。あと5mくらいというところまできたが、天井は1.5mしかない。中腰では力が入らないのか、動きがだんだん遅くなっているようだ。

そのとき、フランソワが前に出ると、天井の端に手をかけると、持ち上げはじめた。もちろん、持ち上がるわけはないのだが、それでも一所懸命力を入れている。そうだよな、ただ見ているだけじゃ能がない。1kgでも1gでもささえられれば、その分へポピーの重荷が減る。おれも天井に取りかかった。すぐにケリーもアッシュもサティも加わり、やっと手が届くかどうかのD.D.まで参加した。それが役に立ったのか、ヘポピーはまた動き始めた。あと1mのところまで来た時、かれは怒鳴った。「OK、退いてくれ。もう行ける。」

ヘポピーは一息いれ、そして大きく息を吸い込むと「っをををををりぃゃやややーーーっ!!」といううなり声とともに天井をまた10cmほど押し上げたと思ったら、一気に最後の数歩をこなし、天井の下から逃れた。彼のすぐ後ろで、天井が床まで落ちた。その厚みはゆうに2mはあった。こんなコンクリのカタマリを…。ヘポピーはもう一度雄叫びを上げた。

「おおおおっししししゃゃぁぁぁぁぁっ!」

「すまない、オレがコインを蹴っ飛ばしたせいで。」アッシュが言った。

「ったく、こいつはどこを歩いていても、なんかあると蹴飛ばして歩くヤツだからな。」おれはこいつに皮肉を言うのは久しぶりだ。

「しないでいいことはしないことだ。とくにこんなヤバい場所では。」とケリー。アッシュはいつになく神妙にしている。

「ま、準備体操にはなったかな、これで」両腕を振り回してヘポピーが笑った。


ヘポピーが一息ついている間に、次の廊下を見ていたフランソワが、眉間にしわを寄せた。「変だわ。ここだけ、ここの床だけわずかに温度が低い。…なにか床にしかけがありそうね。」

そこはまた両側にドアのある廊下で、見た目にはなにも変わりがない。しかし、そういわれては、ケリーも慎重に振舞わざるを得ない。

「よし、おれが先に行ってすこし調べてくる。みんなここで待っていてくれ。」そういうと彼は、まるで崩れかけた石橋を渡るようにゆっくりと、一歩ずつ試しに体重をかけながらながら歩きはじめた。

そしてものの3mもいったところで、かれのつま先が歩く床に触れたとたん、その先の床がぱかっと落ちた。2mほどの床が割れて落ち、10mほどの深さの落とし穴になっている。あとから着いてきたおれたちが覗くと、底には鈍く光る錆びた槍、それも長さはばらばらのやつがびっしりと並んでいる。ほんと、作ったヤツの性格が知れるね。これだけびっしりと並んでいれば、一気に串刺しで絶命とは行かない。それこそ針の山で穴だらけになってのたうつようなことになる。

「これか。だが、わかってしまえばそれまでだな。この幅なら飛び越えるのもそうきつくはあるまい。」そう言って後ずさりして助走位置についたケリーを、フランソワが止めた。

「まって。これだけではあんなに温度差がでないわ。まだあるはずよ、気をつけて。」

ケリーはまた懐からダートを一本取り出すと、口を開けている落とし穴の向こうの床にぽんと投げた。そのダートが床に刺さるのと同時に、今度はその先の廊下全体が一気に落ちた。おれたちは顔を見合わせてため息をついた。最初の穴で一人、それを飛び超したところでもう一人は仕留めるつもりの設計なんだ。まったく、喰えないヤツだ、メロのヤツは。

ケリーは、色の違うダートを取り出し、その胴体をくるくるっと回して開けると、中から細い糸を取り出し、また組み立てたダートのおしりにある穴に通して結んだ。

「これは細いが、100キロや200キロは軽く支えることができるんだ。」そう言って、ダートを思いっきり投げた。ダートはべちゃっっていう変な音とともに向こう側の壁に突き刺さった。そして、同じヤツをもう一本取り出すと、糸を抜き、それから後ろの壁に向かって投げた。ダートは壁に突き刺さると同時に、胴体に仕込まれたパテみたいなヤツが飛び出してきてダート本体をさらに壁に引っ付かせるようになっていたんだ。「先の針もサカトゲになってる。1トンくらいはびくともせんさ。」そういいながら先に投げたダートに繋がっている糸をピンと張って結びつけた。そして、ヘポピーのバックパックから滑車つきのフックを出して残った糸を結びつけて、セットした。

ケリーはフックに結んだ糸をD.D.に渡した。「おれが先に行って、向こうに着いたらこれでフックだけ回収してくれ。次のヤツがフックにぶら下がれば、おれがたぐり寄せてやる。おっと、順番はアッシュ、N.K.、ヘポピー、フランソワ、D.D.、それにサティの順だ。おれひとりでヘポピーを引っ張るのはごめんだからな。」そう言うとさっさとフックを操って空中を進みはじめた。器用に糸をたぐってあっという間にむこうに着くと、すぐにフックを送り返してきたので、アッシュ、そしておれが向こうに渡った。

次はヘポピーなんだが、大丈夫なんだろうか。ヤツの巨体がぶら下がると、糸はまるで髪の毛みたいなものにしか見えない。向こうはそんな不安はみじんも見せず、フックにぶら下がってゴキゲンだ。「いやー、たまには引っ張ってもらうのもいいよなー。」おれたち3人ははあはあ言いながら、なんとかヘポピーをたぐり寄せた。

あとはもうヘポピーに任せたね。彼がなにごともなく通り過ぎたのをみて、淑女の皆様も安心してフックにぶら下がった。サティなんかぶら下がりながらサーカスまがいのポーズをとって遊んでたね。


で、みんな揃ったところは、なにかの応接コーナーのようになっていて、いかにも座り心地の良さそうなソファーが置いてあった。壁際には植木まで置いてある。まったく、普通のオフィスみたいだぜ。おれはヘポピーを引っぱり終えてお役御免になったので、そのうちの一つに腰を下ろしかけた。

「よせ!」アッシュが叫んだ。「なにか危ないような気がする。」

「なんだー、おまえ、さっきのへまにまだこだわってるのか?」ちゃかしながらもおれは立ち上がった。

アッシュは植木鉢の一つをつっ突き、なにも起きないのを確認してから持ち上げ、それをソファの上に置いた。

カシャッという音とともに、ひじ掛けから鋼鉄のベルトが飛び出してクッションを締め付け、それに一瞬遅れて背もたれから鋭いナイフの歯が三本、ぬっと飛び出してきた。おれはまじまじと見つめたね。もしあのまま座っていたら、ベルトで縛り付けられて串刺しだ。「アッシュ…。知ってたのか?」

「いや。だが、あいつの「歓待」にふさわしい場所だと思っただけさ。いかにも座りたくなるだろ?あんたはすなおな人だしな。」そう言ってアッシュは笑った。くそっ。おれは先に目を向けた。

その先は、これまでの廊下ほど長くはなく、突き当たりにドアがあるだけだ。いかにも堅そうな鋼鉄のドア。

「あれか?」おれはケリーに聞いた。やつはうなずく。

「ああ、そうだ。フランソワ、なにかありそうか?」

「いいえ。床も天井もとくに異常はないわ。レーザーもガス穴みたいな物もない。」フランソワは壁に寄りかかり、耳を当ててすこし叩いて振り返った。

「壁も見た通りね。もう大丈夫なんじゃないかしら、ここまでくれば。最後の罠をアッシュが見破ったみたいだし。」ちぇっ、おれはほんとの間抜け見たいじゃないか。

ケリーはダートを取り出し、向こう側の壁に向かって投げた。ダートは真っ直ぐ飛んでドアの横の壁に突き刺さった。特に何も起こらない。「そうだな。そろそろ種切れのようだ。」ケリーがつぶやいた。

そのせいかどうかは解らないが、なにか嫌な予感がした。さっきのアッシュじゃないが、「いかにも安全そう」なのが気に喰わない。おれは、例のソファの一つに近寄り、そのクッションをそっと取り上げた。そして、すこし先へ行くとそいつを思いっきり前に投げ付けた。クッションは真っ直ぐ飛んで行って、3mほど行ったところで、バラバラになった。だが、何も見えない。音も臭いもなく、ただきれいに10cmほどの厚さで水平にスライスされたみたいだ。なんだこりゃ。おれたちは顔を見合わせた。ケリーもなんだか解らないみたいだった。

「単原子繊維の糸が張ってあるんだ。」突然、D.D.が言った。「原子1個分の幅しかない繊維なんだ。普通は炭素原子をつなぐんだけど、細すぎて肉眼では全く見えないし、構造が単純なだけ異常に強い。あんなところに突っ込んだら、ゆで卵みたいにあっさりスライスされちまう。鋼鉄だってバターみたいなもんだ。」

フランソワがゆっくり前に出て、目を凝らすような仕草をした。そしてしばらくすると、ため息をついて言った。「D.D.の言う通りよ。細すぎてうまく焦点が合わせられなかったけど、確かになにかがあるわ。物理的なモノだから電気も電波も、光も熱も振動もゼロで当然よね。ほんと、電子顕微鏡で何メートルもスキャンしないかぎり、はっきりとは見つからないわね。わたしでも見つけるには、おそらく何か投げるしかないでしょう。そのことを思い付きさえすればね、N.K.のしたみたいに。」

「これは後で使うつもりだったんだけど。」D.D.はヘポピーのバックパック ―自分のおもちゃ箱をかきまわして、なにやら短い無反動砲のようなしろものを取り出した。銃口に当たるところには大きなレンズがついている。そこに、さらになにか先の尖ったアタッチメントのようなものを取り付けた。「レーザー砲さ。これでビームを細くすることができる。連続照射で薙ぎ払えば、焼き切れると思うよ。」

D.D.はそれを構えると、クッションのスライスされたあたりの天井から真っ直ぐ正面のドアを縦につたって床を戻って来る焼け焦げを作った。「どうだい?途切れてはいないと思うけど。」

おれは別のクッションを取り、また前と同じように投げた。こんどはそのまま床に落ちる。おれは前に出て落ちたクッションを拾い、そこからもう一度投げた。すると、3m先でまたクッションがバラバラになった。ただし、今度は縦だ。縦方向にスライスされたように見えた。おれは振り返り、口を開けているD.D.に言った。「横方向も払ってくれ。」

そして、そのあとでおれはクッションを投げ、拾ってはまた投げながら進み、ついに奥の十文字に焦げ跡のついたドアまでたどり着いた。「よし。もういいぞ。」そして、みんながやってきた。そして、もう一度D.D.のレーザーでドアのカギを焼き切ってもらった。

おれたちはコンピュータ室のドアを開けた。

>> To be continued ... >>

(2003.12.13)



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2004.10.15 編集