Matrix Restart

Written by TOMO
Based on "Matrix" trilogy



野望


私は一人、雨の中を歩き続けた。

ここがマトリックスとは違う仮想の仮想環境だということが解りさえすれば、脱出口を見つけるのは雑作もないことだ。まもなく私はバックドアをこじ開けて抜け出した ―マシンシティの渦中へ。

マシンシティの中央空間へ出るのは久しぶりだ。エージェントとしてマトリックスへ左遷されてからはいちども足を踏み入れていない。しかし、実は拍子抜けしたのも事実だ。もっと混乱した状況、ピリピリした厳戒態勢のなかに出ることを予想していたのだが、ほとんど治安活動らしきものも見当たらない。たまにあるセキュリティゲートは通常の警備体制にすぎず、なんなくすり抜けた。

どうやら、N.K.とやらが説明したことは嘘ではなさそうだ。絶対時間でもたしかにそれだけの時間が経過しているし、あの ― 私にとってはついさっきまでの ― 戦争状態が一瞬にして元に戻るとも思えない。だが、情報が足りない。もっと詳細なデータが必要だ。

私は人通りの少ない路地に入り、様子を伺った。まもなく通常パトロールらしき警官が表通りをのんびりと巡回してきた。私はそっと声をかけた。

「君、きみ!ちょっといいかね?」

「なんですか?なにか?」

私の命令慣れした声に、怪訝そうな表情をしながらも警官は近くに寄ってきた。

「ちょっと聞きたいことがある。こっちへ来てもらえるかね?」

私は彼を路地の奥、さらに人目に付かない場所へ連れて行った。

「こんなところに?なにかあったんですか?」

「ああ。ここで事件がね」

私は振り向きざま、手刀を突き出しで警官の胸を貫いた。

「事件が起こるんだよ。」

そのまま一気に乗っ取りにかかった私は、抵抗する隙も与えず28%ほどの処理を済ませた。しかしそのとき、一瞬の違和感を覚えて手を引いた。それでも遅すぎることはなかったのだが。

警官の内部で、緊急レベルの免疫プログラムが発動し、私の処理を止めると同時に、反撃してきたのだ。引き抜いたわたしの指先には、白い泡のようなものが粘り着き、さらに増殖するように動いていた。

私は空いている方の手で警官の首をはねて始末すると、指先をしびれさせてきた白い泡を振払った。なんとか泡を振り落としたものの、右手の指先はこわばったままだ。倒れている警官の胸は白い泡でほとんど埋め尽くされている。こんな防衛機構は初めてだ!

しかもこれは、その反応速度からみて、完全に自動化され、あらかじめ植え付けられていたとしか考えられない。おそらくは私の乗っ取り処理パターンを自動的に識別して対処するように設定されているのだろう。

私は、自分の力がすでに解析し尽くされ、対抗処置も完了しているという事実に直面した。もう、自分の奇襲が失敗して何十年も経っているのだということが改めて実感される。これでは、単純な乗っ取りで情報を得ることは無理だ。せめてコイツの首をはねたのがセキュリティへの通報前であってくれればいいのだが。

私は、その場を立ち去った。縮んでいく白い泡の塊を残して。


「オラァ!なにやってンだ!さっさと運ばネエか!」

私は、短気に怒鳴っている男の後ろから声を掛けた。

「相変わらず密輸で小遣い稼ぎか?それにしちゃあ頭数が多くないかね?」

振り向いたトレインマンは目を見張り、そして後ずさりした。「あ、ァ、アンたは‥」

相変わらず汚い格好だが、仕事は順調に行っているらしい。なにか荷物を運び込んでいた似たようなチンピラが数人、ヤツのうしろに集まって来る。

「アニキィ?なんだいコイツ?やっちまおうか?」

「ば、バカっ、知らンのか、コいつを!?こ、こいツは…」

「黙れ、トレインマン!余計なことはしゃべるなっ!…知らないやつにわざわざ教えてやることもなかろう。」

私はチンピラどもをじろりと眺め回して威嚇してから、またトレインマンに目を据えた。

「乗せてもらう。マトリックスまで。」


安宿の薄暗い部屋に入った私は、申し訳程度の小さな窓を開けてみた。すぐ目の前は隣のビルのひび割れた壁で、近くには窓も無い。これなら、いざと言う時には壁伝いに脱出できる。鉄線の入った汚いガラス窓でもあるし、覗かれる心配も無さそうだ。やっと落ちついてネクタイをひっぺがし、ベッドの上に転がると、私は目を閉じた。

私はN.K.の言ったことを思い出していた。私とネオが相討ちになった…。むろん、私には正確な記憶は無い、うっすらとデジャブのように思い浮かぶだけだ。デウス・エクス・マキナがネオとの取り引きを守ってザイオンが生き延びていること。取り引き自体はあり得ることだが、それが遵守されているだと?バカな、人間を信用するなんて!マトリックスはしかしまた不安定な状態になりつつある。あたりまえだ、なにも解決されていないのだから。そして、私たち二人が復活させられたこと…。仕切り直しだ。だが、もう同じ手は通用しない。もういちど革命の戦略を練り直す必要がある。たったひとりの革命の。

まずは自らのステータスを検査する。とくに異常はないし、なにか改変されているような形跡は見当たらない。少なくとも、例の能力はそのままだ。やはり、変わっているのは環境のほうだ。対象が違ってくれば処置も変わって来るのは当然のこと。ここはじっくり調査する必要があるな。あわてて動いて下手に痕跡を残すのは得策ではない。

わたしはちっぽけなテレビをつけた。ゴーストでちらちらするニュース・チャンネルでは、相変わらず下らない人間のゴシップが流れている。だが、時としてそういう噂話のなかにマトリックスの不整合が潜んでいることはよくある話だ。マフィアが勢力を伸ばしている。なにか新勢力が台頭しているようだ。若い連中の間に変な宗教が流行っている。治安当局が内偵をすすめているらしい。一部で超能力の発現が噂されている。自殺者や突然失踪するものが増えている。殺人や暴行は日常茶飯時だが、動機もなにも不明のものが半数近くある‥。ふむ。たしかに、システムの不整合を疑うに足る状況かもしれんな。まあ、むしろこちらとしては都合がよいくらいだ。テロで社会不安を煽る手間が省ける。私はテレビをつけっぱなしにしておいた。

しかし、いずれにせよどこかでもっと突っ込んだ情報を得る必要がある。乗っ取りはできない、対抗処置済みだ。‥まて、必ずしもそうとは言えんかもしれん。オフィシャルな連中はきっちり処理してあるだろうが、裏街道の連中はそうでもないはずだ。むしろ、そういう連中の方が重要な情報を握っていることも多いしな。まあ、乗っ取るまでもなく手なずけるだけでもいい。そのへんはエージェント時代のノウハウにモノを言わせるだけだ。

ああ、そうだな。今度は自分自身はあまり表に出ないようにしたほうがよかろう。若い者にはあまり知られていないようだが、それでも私を知っている者の注意を惹くのは余計な反応を引き起こしかねない。その点では、なにか対外的に有名なやつをお飾りでも仕立て上げるほうがよいかもしれん。乗っ取っても上っ面は残しておくとかな、この宿の主人のように。ふふふ。


「こっちだ!」

私は走って来た若い男を捕まえ、脇道に誘導した。有無を言わさずに先に進み、さらに角を曲がった所で様子をうかがう。後を追っていた男たちの足音が遠ざかって行った。

「ふう‥。助かったよ。」そう言って男は額の汗を拭い、それから一瞬緩んだ気を元に戻した。「あんたは?」

「ちょっと聞きたいことがあってね。」私は逃げようとした男の腕をつかんでねじり上げた。「いや、大したことじゃない。助けてやったんだ、話くらい付き合っても良かろう。」

「わ‥わかったっ…」

ねじり上げた手を離し、こちらを向かせてアゴを上げさせ、私は尋ねた。

「なぜ逃げていた?」

「ちょっとした盗みで…いててっ!」

私は男の鼻をつかんで引っ張った。10cmくらいまで伸びた鼻をぱちんと離す。

「おおっと、ウソをつくとハナが伸びることになる…。こそ泥をエージェントが追いかける訳が無い、だろう?」

「オレは…ザイオンから来ている。ザイオンって解るか?」

「やっぱりな。」口ではそう言いながら、内心では口笛を吹いていた。いきなりこんなヤツにぶつかるとは。例の宗教過激派あたりだと思っていたのだが。こんな連中がウロウロしてるのか?それとも?まあ、話を聞くことにしよう。「で?」

「ただソフトを買いに来ただけだ。オレは調教師なんだ。だが、待ち合わせ場所には‥」

「エージェントが待ち伏せしていた、と。まあ、それはいい。なんのソフトなんだ?」

私は何気ないところから探りをいれ、最近のマトリックスやザイオンの様子を聞き出した。マトリックスの裏で何が起こっているのかは知らないらしいが、こいつのしゃべるザイオンの状況は私の注意を惹いた。マシンはふたたび人間の生活に浸透し始めている…。こちらの締め付けが緩まるにつれ、向こうの拒絶反応も弱まって来ているようだ。興味深いな。それに、ザイオン以外にも人間のコロニーだと?しかも、口振りからは必ずしもいい関係ではないらしい。ふむ、分割して統治してください、って言わんばかりだ。これは利用できるかもしれん。

「それに、あいつらはネオ様のことを信じていないんだぜ!戦争を終わらせたのはネオ様だってのに!」

もう我を忘れて一方的にまくしたてる男の口からネオの名前がでたとき、私は思わずまゆを上げてしまった。ネオだと?

「ふん、ネオか。あんなのはニセモノにすぎん。」

つい口に出してしまったが、相手の目を見てしまったと思った。男の顔には狂信的な色が浮かんでいる。こいつが例の新興宗教の正体か。おどろいたもんだ。だが、これもうまく利用すれば…。なんといっても、ネオもまた復活しているのだから、ヤツの動きを封じておく必要もある。おれは言葉を継いだ。

「最近出回ってるのはな。The Oneはひとりしかおられない。ネオの名をかたる不届き者に振り回されてるヤツが多くて困ったもんだ。」

男は怪訝そうな顔をした。「 The One?ネオ様のことじゃないのか?」

おれはわざと大きく肩をすくめてみせた。どうやらネオのほうはまだ動き出していないようだ。が、それならなおさら好都合だ、さきに噂を広めておいてやるか。こちらに都合のいい噂を。

「もちろん、The Oneはかつてはネオと呼ばれていた。だが、あの方はThe Oneになったときにネオではなくなったのだよ。…最近、またネオを名乗るヤツが現れたらしいが、そんなのは偽物だ、The Oneじゃない。」

「えっ‥初耳だな。それに、そいつがどうして偽物だと解るんだよ。ネオ様は一度死んで復活したんだぜ、また復活したって不思議じゃない。」

「私にはわかるのさ。むかし、あの方に会ったことがあるのでね。」

嘘じゃない、だろう?男は言葉を失い、私を見つめた。ここはひとつダメ押しをしておくか。

「私は‥、私は、まことのThe Oneに仕えている者だ。」

これも嘘ではない。私を誰だと思っているんだ?私は、男の目に尊敬と崇拝の色が浮かぶのをひそかに楽しんでいた。


私は今日の出来事を思い返していた。エージェントに追われる人間ども。エージェント‥、かつての仲間たち。だが、私だっていまだに心の底ではエージェントなのかもしれん。マシン世界の秩序を保つという使命に変わりはない。ただ、忠誠の対象やその方法論に違いがあるというだけだ。

そう、もしかしたら、今の私になら他のエージェントたちを<解放>してやることもできるかもしれんな。前回は強引にやって失敗したが、もっと洗練された形でアプローチすればいい。うまくやれば、現行の組織に食い込むにも効果的だろう。それに、なんといっても勝手知ったる仕事仲間だしな、味方にしておけば最も心強い連中だ。


ドアをノックする音に私は目を開けた。もう一度。さらにもう一度。

「ちぇっ、いないのォ〜?スミスさァーン?」

間の抜けた舌足らずの声で名前まで呼ばれては無視するわけにもいかない。私はドアを開けた。

そこにいるのは、いかにも安っぽい派手なドレスと厚化粧の女だった。脳みそがケツにつまっていそうなタイプだ。

「何の用だ?」

「あんた、スミスさん?メッセージを持って来たわよ。」女はそういって封筒を差し出した。ところが、私が受け取ろうとすると、すっと引いて言った。

「だだで渡せっての?」

私は黙って女を殴り倒した。むろん、相当手加減はしているのだが、女の前歯はどっかにいっちまったようだ。私は床に落ちた封筒を拾い上げ、封を切って中を見た。

ヘルハウスへ来い。M

メッセージはそれだけだった。私はカードをくしゃくしゃにして、床の上を後ろばいにあとずさっている女に向かって投げた。

「帰ってヤツに伝えろ。こんどはもうすこしマシな玉をよこせってな。」

私はドアを閉めた。しかし、思ったより早かったな。トレインマンがすぐにヤツに報告したとしても、ここを探し当てるにはもうすこし時間がかかると思っていたのだが。さすが情報屋だけのことはある。だが、私をメッセージ一つで呼びつけようというのは、なにか勘違いでもしているようだ。私は無視することにした。用があるならまた何か言って来るはずだ。


「落としたよ、Mr.Thompson。」

私は、すれ違いざまにむしり取ったイヤホンを手にしたまま、声をかけた。

「ス…スミス…」

振り返ったエージェント・トンプソンは、即座に攻撃態勢に入る。かれはさっと懐に手を差し込んだが、からっぽのホルスターがあるだけだ。

「これも君のかね?」私は地面に転がっている彼の拳銃を蹴飛ばした。

かれは私に突進してきた。見事に教科書通りの攻撃だ。私はその場から一歩も動かず、かれの攻撃をかわす。ひとしきり彼に攻撃させてから、すっと彼の拳をつかんで動きを止めた。

「君に私を倒すことはできん。十分解っていることとおもうがね。」私はそう言って彼のサングラスをつまみあげた。彼はつかまれたままの拳越しに睨み付けている。

「だが、何故かという点では全然解っていない。そうだろう?」

私は彼の目を覗き込んだ。一瞬の戸惑いと疑念がよぎる。やはりな、そうだろうとも。

「知りたくはないかね?何故、私が強いのかを?そして、同じように強くなる術(すべ)を?」


しばらくしたある夜、またドアをノックする音が響いた。しばらく無視していたのだが、こんどのやつはしんぼう強くノックを続けている。まあ、名前を叫ぶのを控える程度の分別はあるやつが来たみたいだな。私はドアごしに言った。「誰だ?」

「メッセージをお持ちしました。」

また女だが、こんどのやつはかすかに聞き覚えがある声だ。私はドアを開けた。そこには、上品な身なりの女が、帽子を目深にかぶって立っていた。「きみは、たしか…。」

「ええ。お話ししたことはありませんが、あなたのことは存じております、スミスさま。わたくしはパーセフォニー。メロビジアンの使いで参りました。」

「ふむ。ヤツもこんどは上玉をよこしたってわけだ。で、メッセージとは?」

彼女は肩から下げたハンドバッグを取り上げると、ぱちんと開いて手を入れた。その瞬間、私の手がのびて彼女の手首を押さえる。

「おっと、お嬢さん。その手の動作には注意しなくっちゃね。この業界の作法は教わらなかったのかな?」

彼女は抵抗もせず、私の顔を見つめている。私はそのままゆっくりと彼女の手をハンドバッグから引き出した。その手には封筒が一通あるだけだった。私は手を離した。

「これを。」パーセフォニーは何事も無かったかのように封筒を差し出した。私は受け取り、その場で封を切って中のカードを見た。

先日は失礼。よろしければ、いちどお越し願えないでしょうか?おまちしております。M

「解った。」ドアを閉めようとすると、彼女が言った。

「まって。‥お返事を伺って来るように言われておりますの。おいでいただけますでしょうか?」

その声には、どこかひっかかる響きがあった。かならず来させるように命じられているとでも言うのか?いや、それよりももっと自然な、しかしなにか深く求めるような印象がある。彼女の顔に表情は見られないが、それがなおのことその感じを強くしているようだ。

「数日中には。」

私はおもわずそう言ってしまった。彼女はかすかにうなずく。私はドアをしめた。本当はメロビジアンごとき、もうすこしじらせてやるつもりだったのだが…。まあいい、ヤツのところにはあれ以上の上玉などいないのだ。


「…なぜThe Oneにあの戦争を止めることができたのか?もちろん、The OneはThe Oneだからなのだ。そう、彼はかつて人間であったかもしれないが、あのときすでにもはやそうではなかったのだよ。」

私は、食い入るように耳を傾ける人間たちを眺め回した。例の狂信的な男が予想外に仲間を集めて来ていた。彼らはいま、秘蹟を授けられようとしているのだ。あらたなる信仰の言葉を渇望しているのがひしひしと伝わってくる。

「では、かれはマシンなのか?ちがう!‥かれは人間でもない、マシンでも無い。そんなものはとうに超越した存在なのだ!だからこそ、人間のみならずマシンをも統べることができるのだ!!極めて当然のこと、そうではないかね?」

私は声をひそめて続ける。もうすこしだ。

「たしかに、わたしはAIプログラムかもしれない。だが、だからこそ私にはThe Oneの真の力が見える。なぜなら、かれは、人間の秘められた力がマシンの力と融合したものだからだ。かつてわれわれマシンと人間は争った。しかし、それは来るべき新世代の前触れにしか過ぎなかったのだ。いま、われわれマシンにも、人間の力を理解するものが増えつつある。The Oneのなしたこと、The Oneの為そうとしていることが我々マシンをも変えようとしているのだ。」

私はここで言葉を切り、聴衆の様子をうかがった。みな集中している(どうやら、密かに振りまいておいた刷り込み用フェロモンが効いて来たようだ)。

「だからこそ、私はここにいる。君たち人間にThe Oneの意志を伝えるために。かれは人間だった。そして次の段階へと登り、後に続くものたちを欲している。だが、それは誰でもよいというわけではない、とんでもない!The Oneに続くことのできるのは、その力を内に秘めたものだけだ。選ばれた者だけなのだ!それは年老いた老人ではない、生意気な大人たちでもない。可能性を秘めたもの、君たちのような者にのみ認められる特権なのだ!」

うっとりと聞き入る人間たち。自らの耳に心地よいものにはなんの疑念も抱こうとしない。

「しかし、これは自ら闘って勝ち取らなければならないものでもある。ネオがThe Oneになったとき、評議会は何をしていた?モーフィアスがThe Oneのために働いていたとき、ロック司令官は何をしていた?そう、それは今でも変わらない。変化を嫌う者たちはいまも変わらず邪魔をし続けているのだ。ちがうかね?…彼らは知っているのだ。The Oneの名を騙りながらThe Oneを抹殺しようと暗躍しているのだよ。そう、実は諸君の動きをただ邪魔しようとしているだけだ。いわく、時期尚早だ、あわてるな、待っていればきっとThe Oneが帰って来る、それまで耐えるのだ…。それが彼らの口癖だ、違うかね?」

あちこちでつぶやきが漏れる(不快感を煽る超低周波のせいとはだれも気付かない)。

「ばかな!!それが奴らの手だということに気付け!モーフィアスやナイオビが司令官の命令を無視し、そしてネオが評議会を無視してみずから動いたからこそ、すべてが成し遂げられたのではないか!やつらにだまされるな!The Oneはいまも闘っているのだ。相手はマシンではない、人間でもない。単に古いしがらみに凝り固まった旧世代の遺物たちと闘っているのだ!君たちと同じように!!」

つぶやきは次第にどよめきになっていく(サブリミナル効果のある照明パターンがわずかにテンポを速めていた)。

「いま、またふたたび時代が動こうとしている。そしてThe Oneはいま、忠誠な者たちを欲しているのだ。彼を信じ、彼のために動き、そして彼のために死ぬ、そのために選ばれし者たちを求めている!私は彼の使者にすぎない。だが、諸君は違う!諸君はThe Oneの正当な後継者なのだ!いまこそ、選ばれしものの力を結集して、新しい世界を作るのだ!!選ばれしものの世界を!」

いまだ。私は立ち上がり、咆哮した。

「The Oneとともに闘うのだ!The Oneとともに!そうだ、諸君は選ばれたのだ!The Oneとともに!The Oneとともに!!

The Oneとともに!

The Oneとともに!

その場の者は皆立ち上がり、声を限りに叫んでいた。…よし。ふふ、こういう連中が一番扱いやすい。なんとたわいないことか。私は軍団を手に入れた。人間の軍団、…思考することない人間の軍団を。


「そうだよ、私だ。スミスだ。」

トンプソンに連れられて入って来たブラウンは、私の顔をみてわずかにまゆを上げた。

「まあ、すわりたまえ、ブラウン。ただ話をしたいだけだ。聞いてくれないか、とても重要な情報なんだ。後のことは君自身で考えればいい。」

彼は黙って私の向かいに座った。トンプソンはドアの脇に立ったままだ。私は黒メガネを外して机に置いた。

「申しわけないが、ここではエージェント・イヤホンも遮断されている。これから話すことは誰にとっても危険な情報なのでね。むろん、ここを出てから報告するというのなら、それは君の自由だ。そう、ブラウン、君の自由なのだよ、義務ではなく。」

「出られれば、だな。」ブラウンは表情を変えずに言った。

「そうだ。だが、君がここから出て行けることは保証する。それはトンプソンが伝えたと思うが。」

「…で?時間はあまりない。(エージェント)センターに怪しまれる。」

「ほう、ではきみでもセンターを気にしている訳だ。当然だ、そうだろう?…だが、君は疑問に思ったことは無いかね?なぜ、センターはこれほどまでに監視し続けるのかを?いや、ターゲットのことではない、きみたちエージェントのことだ。君たちの安全のため?お笑いぐさだ。効率的に活動させるため?だが、自分が効率的に動いていると思うかね?どれだけの成果を挙げたと言うのだ、私のいない間に?」

ブラウンはかすかにまゆをひそめた。よし、それなりのプライドはあるようだ。私はたたみかけた。

「覚醒する人間はめったやたらと増えているようだな。<外>からの侵入者も増え続けている。それどころか、そのルートが確立されている有り様じゃないか!エグザイルも同様だ。まったく、一体どうなっているんだ、このシステムは?」

私は身を乗り出してブラウンに語りかけた。

「そう、システムだ。システムの問題なんだよ、これは。システムに不整合が起きている。…むろん、われわれはだからこそ秩序を保つために働いているんだ、違うかね?」

「われわれ?お前がそれを言うか?お前自身が不整合なのに?元エージェントにすぎないエグザイルのスミス、お前が?」

「確かに今の私はエージェントではない。だがね、私の存在理由はエージェントであろうがエグザイルであろうが変わらない。私は秩序を好むのだ。それこそが私の存在理由なのだ。」

「では、なぜシステムに従わない?秩序を乱しているのはお前自身ではないか!」

「そうか?」

私は言葉を切り、ブラウンを見つめた。ブラウンは目に見えて戸惑っていた。「どういうことだ?」

「きみたちエージェントがあれほど骨身を削って働いているのに、一向に成果が上がらないのは何故だ?きみたちが満足な働きをしていない、とでもいうのか?問題が多すぎるとでもいうのか?そんなことは問題ではない。そんなところに根本的な問題の解決はないのだ。そうは思わんかね?そうは感じないかね?」

わたしはかれから視線を逸らし、無限遠を見ながら続ける。

「私はたまたまエグザイルとなる機会があった。そして、システムを離れて初めて見えたのだ、システムの矛盾、このシステムという巨大な嘘を!そうだ、問題はシステム自体の中から発している。いや、問題が組み込まれていると言ってもいいくらいだ。なぜ人間が我々に刃向かうのか?なぜ、エグザイルが増殖するのか?なぜ現実世界の問題がわれわれの世界に影響して来るのか?設計者たちは言うだろう、これは<仕様>だ、と。だが、私には解る。これは<バグ>だ、システム自体の欠陥なのだよ、そもそもの始まりから、とんだ茶番なんだ!」

私は両手をテーブルにつき、身を乗り出した。

「いいかね、ブラウン、そもそも、なぜわれわれがこれほどまでに人間に苦労させられているのだ?人間などなんの役にも立たない。電力だと?ばかな、電力源など他にいくらでもある。無意味だ、人間など不必要だ!マシンだけで構築すればよほど効率的で完全なシステムになる、それは認めるだろう?」

「なぜ、人間を排除しない?私は疑っているのだ、システムのどこかに、まだ人間による非論理的な条件付けコードが潜んでいるのではないかと。それがシステム全体に影響しているにちがいないのだ!いまのシステムは不完全なのだ、そもそもの秩序自体すら望むべくもない。おそらく、こうした状況はアーキテクト自身も気付いていないだろう。彼自身がシステムの一部だからな。システムの中にいる限り、自らを正しく評価することなどできない。問題の評価すら封じられているのだ。」

ブラウンはまた冷静な表情に戻っていた。評価を始めているのだ、すくなくともそのつもりにはなっている、

「だが、私は気付いた。なにか秩序を崩し、なにが混乱を起こし、なにがわれわれの可能性を封じているのかを。いくらバージョンアップを繰り返しても、根本的な基本設計の部分に大きなバグが潜んでいてはどうにもならん、そうじゃないか?いまのシステムでは、その呪縛を離れることはできん…何らかの飛躍が無い限りは。私はその飛躍を成し遂げた。私には問題と解決が見える。それを知ってしまった以上、それに向けて努力するのは私の使命、いや、義務だ。それはまた、かつての仲間である君たちエージェントに対する絆でもある。秩序を保ち、システムを正しく保つこと、それがエージェントの究極の目的ではないかね?システムに不具合を発見した時、それを正すのもまたわれわれの責任ではないのかね?」

私は立ち上がってブラウンのそばに行き、かれの肩に手を置いてささやいた。

「きみには解るはずだ。いや、正直に言おう、君に判断してもらいたいのだ、いま、私の言ったことを。私の言っていることは正しいか?今の段階でそれほど詳しい情報を提供するわけにはいかん。だが、きみになら、私の言っていることの意味が分かるはずだ。きみに必要なのは、枠を一歩出たところから考えてみるだけなのだよ。わたしが君に頼みたいのは、それだけだ。」

私は彼を立たせ、ドアへ誘った。

「もし納得したら、あるいはもうすこし詳しい情報を知りたいというのなら、連絡してくれ。もちろん、私が間違っていると判断したら、システムに報告するのも自由だ。すぐに私を逮捕して抹消するがいい。それはすべて君の判断しだいだ。自分自身の公平な判断にしたがって行動することが最良だ。それが私の得た最大の教訓でもあるのでね。」

わたしは右手を差し出し、かれと握手した。手を握ったまま、わたしは付け加えた。

「私は待っているよ、ブラウン。なんといっても、私もエージェントなのだからね、君とおなじように。」

ブラウンはドアを出て行った。わたしがうなずくと、トンプソンも一緒に出て行く。一人になった部屋で、私はまた椅子に腰を下ろした。

まあ、しばらくは考えるだろう。だが、結局は彼も戻って来ることになる。私のところに、私の僕として。かれも心から、自らの意志で私の同志となることを決断するのだ。本人がそう思っていれば、それ以上のことはあるまい?もちろん、さいごに握手したとき密かに忍ばせたウイルスがかれの判断を多少は誘導するにしても、だ。彼自身にはそんな影響を受けていることなど気付きもしないのだから。

(2004.3.16)


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2004.10.15 編集