Matrix Restart

Written by TOMO
Based on "Matrix" trilogy



塔の上の姫君(上)


「ヒャッホーォォォォッ!!」

愛車のエンジンをかけた瞬間、おれは思わず雄叫びを上げちまった。こいつに火を入れるのは本当に久しぶりだが、相変わらずビンビン来てるぜ。おれの雰囲気で何となく解ってるのか、こいつもいつもより熱くなるのが早いみたいだ。OK、もうすぐ全開でぶっ飛ばしてやるからな!

今度のドライブはその辺のフリーウェイのお散歩とはわけが違う。マトリックスのフリーウェイからメイン・ストリームのゲートを強行突破し、スーパーハイウェイを突っ走ってマシンシティそのものへ突入しようってんだからな、気合いも入ろうってなもんだ。

もちろん、同じルートを通るにしても、こっそり密輸するような奴らもいることはいる。だがそれは、マシンシティから出るほうがもっぱらだ。入るとなると、ファイヤ・ウォールのセキュリティチェックが厳しくて、見つからずに入るのはまず不可能だ。今度のようにこっちからマシンシティに侵入するとなると、へたにこそこそするよりも、真正面から正面突破を図った方が成功確率が高い。どうしてもゲートはトラフィックが集中するから、いつまでたってもオーバーフローの脆弱性からは抜けきれないのさ。そして、このトレーラーはそれだけのパワーを十分備えてる。

このV8エンジン16輪トレーラーという代物は、本来ひたすらスーパーハイウェイをかっ飛ばすためのモノだ。エンジンを垂直に(vertical)8個積み上げたV8パワー(バルブでいくと合計V128かな)なら、20トンコンテナを2つ3つは軽く振り回せるぜ。まあ、今回はスピードがモノをいうから、コンテナはそう大きくせず(それでも20トンはあるかな)、全体をエアロフォルムできっちり決めてる。ま、デコトラ電飾は多少(かなり?)多めだが、まあ、派手な方がトロい車もさっさと避けてくれるって。「街道一番流れ星」のネオン・ロゴはおれのトレードマークだから外せないしな。

それでも、この車が真価を発揮するのはスーパーハイウェイに入ってからだ。くそったれなフリーウェイでは流れが遅すぎ、図体のでかさが若干不利になる。それでフリーウェイでは露払いが必要になるんだ。おれは運転席のすぐ横にいるナナハンのアッシュに目をやった。

アッシュはWONDAのPINGにまたがってこれまたゴキゲンだ。PINGというバイクは純正のままでも7500ccのモンスター・バイクだが、D.D.が目一杯チューンしたからかなりボアアップしているはずだ。風圧に負けないように特製の風防付きで、外見はまるでロケットだぜ。最高速度はともかく、バイクのゼロヨン立ち上がりは車の比じゃないから、飛び出して先行し、小回りのよさでかく乱して道を開けさせる手はずだ。

さらにおれはバック・モニターで後ろのポセイドン30000改(もちろんD.D.スペシャル仕様のオープンカーだ)を確認した。あっちのケリーとN.K.の、うしろについてくる追っ手を牽制することになってる。まあ、フリーウェイはこうるさいパトカーやら白バイやらがうじゃうじゃしているから、下手に絡まれると面倒なんでね。

おれはアッシュに親指を立ててみせた。アッシュも同じように親指を立てる。おれは、轟音のような警笛を思いっきり鳴らした。うしろからも警笛の金切り声が答えるのがかすかに聞こえる。助手席のセラフは顔色も変えずにうなずいた。おれたちはフリーウェイに入った。

最初のうちは、アッシュが飛び出しておれが警笛を鳴らせば、ほとんどの車は道をあけた。まあ、このサイズのトレーラーがローカルラインを通るのは珍しいから、みんなよほど特別なことなんだろうとそれなりに納得してくれるみたいだ。だが、お巡りはそうはいかない。まもなく後ろからサイレンの音が聞こえて来た。

フリーウェイはマトリックスでも大動脈だから、よほどのことが無いと封鎖できない。逆に、事故処理の素早さはもう魔法のようなもんだ。まあ、クラッシュした車は単に路面からおっ放り出しちまうだけだからな、雑作も無いといえばそれまでだが。マシンシティと行き来するパケットは、すべて送り主が大元をキープしているから、事故って届かなかくっても、改めてもう一度送り直すだけだ。ドライバーさえ、リロードすれば済むんだから、なにも気にする必要はねえ。事故車はあっさり処分しちまえばトラフィックの邪魔になることはぜんぜんねえのさ。

ところが、おれたちはそうは問屋が卸さない。エグザイルにバックアップなんてもんは無いから、衝突したらそこで一巻の終わり、とにかく生き残るように突っ切るしかねえんだ。だが、実はそれが付け目でもある。つまり、荷主は送り出しと受け取りしかチェックしないから、途中で何が起ころうと知ったこっちゃない。多少手荒な運転もしやすい環境になってるんだ。もちろん、トラフィック・パトロールは衝突が異常に多いと原因を除去しようとするけど、トラフィック自体を止める権限はない。なんとか個別に走行を邪魔して、とにかく止めようとするのが限度だ。こっちが走っている限り捕まえようがねえから、とにかくトラフィックが流れている限り、駆け抜けた方が勝ちなんだ。

そんな事を考えていたら、後ろでドンパチ始まった。ケリーが車を左右にゆらしながら牽制し、N.K.がマシンガンでパトカーのタイヤを狙う。むこうもそう大人しくやられている訳にはいかねえのはあたりめえだ、けっこう撃ち返して来る。ま、あちらさんはまわりの素人さん車には多少遠慮があるし、そもそも車自体のパワーが違うからそうそうは追い付いて来れんだろう。しつこさは天下一品だから、振り切るのは難しいがね。

「私も出ましょう。」突然、セラフが言った。バックミラーに見える追っ手はまた増えてる。彼はルーフウインドウを開け、レミントン・スーパー9仕様を持って車の上に出て行った。

パトカーの後ろにサイドカー付き白バイが見えかくれしていた。そいつは斜め後ろにある程度距離を保ったままついて来る。そして、サイドシートのヤツはM64k・ボルトアクションスコープ付きスナイパー仕様を抱えたまま様子を窺っていた。マシンガンのめくら撃ち程度なら装甲板で防げるが、その隙間をピンポイントで突かれてタイヤやブレーキパイプを打ち抜かれたら、いくらライフル弾とは言えさすがにヤバい。

セラフはまるで普通の道を行くみたいにとことことコンテナの上を歩き、後ろに向かった。そして、ちょうど向こうのスナイパーと目線の合う場所で立ち止まり、レミントンを構える。同時に向こうもサイドカーで立ち上がり、M64kのスコープを覗き込んだ。

こっちものんびり走ってる訳じゃなし、かなりのスピードで蛇行させてるんだが、セラフはまるで足をボルト止めしたみたいに微動だにしねえ。狙いをつけて構えたまま、ただ立ち尽くしている。

なんで撃たないんだ!?だが、それは相手のスナイパーも同様だった。どちらも、一発の勝負になることを心得ているんだ。ヤツの背中からは緊張感がびしびし伝わってくる。スコープの中の相手の目とのガン付け勝負で負けたのでは話にならないんだろう。それでも、まだ普通の狙撃距離にも入ってないんだ。射程に入るタイミングをひたすら待ち続けるセラフ…。

そのとき、ちょうど道が長い直線にさしかかった。バイクライダーがアクセルを吹かすのがわかる。じりじりと間合いがつまってくる…。おれはモニタの様子を見ながらも、蛇行を止めるタイミングを決めかねてた。

長い高架を通り過ぎたところで、急に横風が弱まった。ハンドルにかかる負荷がふっと軽くなる。おれは迷わずハンドルを回す手を止めた。その機を逃さず、セラフが撃った。追っ手が高架を出るタイミングピッタリだ、向こうには風の変化は捉えきれていないはず…。だが向こうもほぼ同時に撃ってきた。

そのまま、数キロを進む間、セラフは撃った時の姿勢のまま仁王立ちだ。向こうのスナイパーも次を撃ってこない。どうしたんだ?当たったのか、やられたのか!?…そのとき、セラフが銃を降ろし、敵のスナイパーは座席に崩れ落ちた。

セラフは銃を捧げもって一礼し、振り向いてゆっくり戻って来た。助手席に降りて来たセラフのこめかみにはわずかに赤いミミズばれが一筋走っている。彼は何も言わず、銃を座席の下にしまいこんだ。

だいぶ追っ手も減ったかなと思ったら、合流点でまた白バイが数台、いきなり前に飛び出してきた。ヤバイ、白バイはうかつに横に入られると横からエンジンを撃ち抜かれる。おれはすこーしアクセルを緩め、手元のH&Kマシンガンを確かめた。

アッシュはすぐに白バイに気が付き、何度か振り向いて位置を確認した、と思ったら急にスピードを落とし、あわや追突するかというタイミングですっと横にずれ、横に並んだ瞬間白バイを蹴飛ばした。このスピードで真横から蹴飛ばされたんじゃかわいそうってなもんだ、蹴られたヤツはあっというまに見えなくなった。アッシュはそのまま他の白バイの後ろに下がり、おれの車のすぐ前にきた。

「アッシュ!横に下がれ、おれがアオる!」おれは叫んだ(もちろん無線だ、さもなきゃ聞こえるわきゃーねえだろ)。

ヤツのナナハンが道を開けると同時に、おれはアクセルを思いっきり踏み込んだ。白バイ連中のすぐ後ろに迫ると、連中も必死で加速する。だが、そのすぐ先に急カーブがあるんだ、おれはよく知ってるからな、この辺は。案の定、1台が曲がりきれずに突っ込み、後続も引っかかってサヨウナラだ。

後ろでは、N.K.が手りゅう弾を使いはじめたらしく結構にぎやかにやってるみたいだ。ちらっと見ているうちに一台ふっ飛んだ。モニタをみるとついて来るのはもう数台ってところか。それでも、あれほどうじゃうじゃいたんだから、まあ、よくやったと褒めてやってもいいぜ。

メインストリームのハイウェイ・ゲートまではあとわずか、ひとまずこのまま行けるかと思ったのも束の間、スピーカーからフランソワが叫んだ。

「ヘリが来たわ!2…3台!アパッチ攻撃ヘリのようね!」

「D.D.、サティ!出すぞ!」「いいわよォ!」「あいよっ!」

おれはスイッチをいれた。後ろのコンテナの天井の一部がスライドし、対空用機関銃がせり上がる。ほとんど球形の枠の中に2連の重機関銃と銃座がセットされ、その真ん中にサティが座っている。ほとんど360度の射撃範囲をカバーする回転銃座がすぐにくるくると回りだし、襲って来るヘリに向かって撃ちはじめた。

さらにもう一つのハッチが開き、ロケットランチャーが顔を覗かせる。こっちはコンテナの中で、フランソワの分析報告とリモート・モニタの情報表示を見ながらD.D.がリアルタイムで誘導プログラムを書き、ヘリに狙いを付けてるはずだ。さすがのD.D.にもそれには多少の時間がいるから、その時間をサティが稼ぎ出すわけだ。もちろん、おれも車を右へ左へと蛇行させ、できるだけサティを援護する。

と、ロケットに一つが発射された。ちっ、はずした、ダメじゃん…とおもったミサイルは、くるっと回ってしっかりヘリを追いかけ、横へ回り込んでからふっ飛ばした。そっか、うっかり真っ直ぐ当てたら特攻を喰らいかねないか。ま、あいつの芸の細かいのはいつものことだ、おれは運転に専念することにした。

そのとき、後ろの車のN.K.がバズーカをぶっ放した。当たりこそしなかったが、ヘリの一台をサティの死角からはうまく追い出した。うん、だてに現実世界で鍛えてないな、ヤツは。

そして2発めのミサイルが出た。もうヘリも解っているらしく、なんとか避けようと上昇と下降を繰り返す。だが、その動きが裏目に出て、街路灯に引っかかってずるずると墜ちていった。

そのとき、おれはゲートまであとわずかなことに気が付いた。

「やばっ!アッシュ、後ろに回れ!ケリー、バックドアを開けんぞ!」そう叫んでバックドア・オープンのスイッチを叩く。

スーパーハイウェイには普通の車やバイクは入れない。というか、フリーウェイの限界である時速200マイル程度でもハイウェイでは最低制限速度には届きゃしねえんだ。あそこじゃあ、最低制限速度に引っかかるとその場で即時抹消されちまうんだ。もうマトリックスのようなバーチャル環境じゃねえし、遠慮会釈も警告もなく問答無用でいきなりデリートかけてきやがる。このトレーラーはそれ専用に出来ているから問題ねえが、いかにD.D.仕様といってもあいつらの車ではちょっと無理だ、とてもじゃないがたまったもんじゃねえ。ハイウェイに入る前にトレーラーに収容してやらなきゃならないんだ。

もうゲートまではあと数分だ。バックドアが開き、車の進入路が路面へと伸びた。そこへケリーのポセイドンがじりじりと近付く。おれはバック・モニタを見ながら、怒鳴った。

「いくぞ!3、2、1、ソイヤッ!!」

タイミングを合わせてほんの一瞬だけブレーキング、こっちのスピードが落ちてポセイドンがコンテナに飛び込むのと同時にまたアクセルで加速し、車を受け止める。いくら車輪受けとしてベアリングが敷き詰めてあるとはいえ、これだけのスピードで動いている車の車輪を侮っちゃあならねえ、ひとつ間違えたらコンテナの正面に激突しちまう。タイミングを合わせてケリーの踏んだブレーキの音に、焼ける臭いがこっちまで漂ってくるようだ。

「よし!入ったな!次はアッシュだ!」

そのときD.D.のミサイルが打ち出される。ところがそれを予期してランチャーを狙って待ち構えていたヘリが、あっというまにその虎の子ミサイルを機銃で撃ち落としちまった。ゲートに飛び込むまで、あとはサティの対空砲火だけが頼りだ。彼女はもうトリガー引きっぱなしだ。なんか、こないだの突入のときにマシンガンに惚れたとか言ってたが(笑)。

アッシュもとっくにトレーラーのすぐ後ろについてるのだが、さすがにバイクで車ほどのスピードを出し続けるのはちときびしく、近寄ったり遅れたりでなかなかタイミングがつかめない。といって、下手にスピードを落とすとヘリにねらい撃ちされちまう。だが、ゲートまで後わずかしかない…。アッシュは必死にアクセルを握りしめて追い付こうとしてるんだが。

まずい!!ゲートへの分岐路が見えて来た。一発かましてアッシュをのせるしかない。

「アッシュ!バイクは捨てろ!いいか!?」

分岐路に入ったとき、モニタのアッシュがわずかにうなずいたように見えた。だが、それと同時にヘリが速度を上げて迫って来る。

「いち、にの、さん、ほれ跳べっ!!」

おれはブレーキを踏み、減速してバイクを追突させる。そして、間一髪ジャンプして宙にいるアッシュがコンテナの中に入るジャストタイミングでバックドアを閉めるスイッチをはじき、同時にアクセルを踏む。なむさん、アッシュよぉ、無事でいろよ!

「OKだ、アッシュも入った!」歓声に混じったD.D.の声とともに、ゲート・トンネル入口にヘリが激突する音が聞こえる。おれはおもいっきりアクセルを踏み付け、そのままトンネルの奥のゲートに突入した。こうなればチェック・ポイントも遮断機もあって無いようなもんだ。きらめく警告灯とうなりをあげるサイレンにまけじと、おれも装飾の全ランプを灯け、警笛を鳴らしっぱなしにしながらゲートを通過した。こうしておれたちはスーパーハイウェイに乗り入れた。


おれは詩人じゃないし、ハイウェイを言葉で説明するのはちと難しい。といっても、たとえ人間の目に見えるようにしたところで、すんなり把握できるような代物じゃないがね。まあ、噂のネオさんなら解るかもしれないが、それでも細部は無理かな。イメージとしてつかむのが精いっぱいだろう。

でっかいトンネルに入ったことがあるかい?なら、そのサイズをうーんとでかくして、直径3kmくらいの正円のトンネルにいると思ってくれ。その壁全面をたくさんの光るカタマリがいっせいに同じ方向へ走っている。大きさや長さはさまざまだ、おれたちのような大型トレーラークラスから乗用車サイズまで千差万別。特に車線にあたるようなものはない、路面も真っ黒だから、わずかな照り返しの他は疾走する光の位置でトンネルの形が識別できるだけだ。とにかく、上も下もねえ、正円のトンネル全面がさまざまな光の点で彩られ、流れるように同じ方向へと移動して行く。

おれたちのトレーラーも、ハイウェイに入った瞬間にデコトラ装飾は消滅し、他の車と同じように淡い光で全体が包まれている。その点では、外から見たらもうどれがどれだか識別はつかないだろう。事実、パケット全体を包むカプセルとしてはどれも同じだ。ただ、中に積む荷物によって太くなったり細くなったり、長さが伸びたり縮んだりするだけなんだ。

そして、スピードのわずかな違いが色の違いになっている。もちろん、赤い色のヤツは遅い部類だ。それから光のスペクトル分布の順に速さを反映していき、オレンジ、黄、白、青、紫へと変わっていく。まあ、大部分は単純な白い光だ。それが標準速度ってことかな。

あと、目立つのはトンネルの中央軸のところにある照明ラインだ。いや、べつに照明というわけじゃないが、そんな風に見える光の筋が正円の中心の位置を一直線に走っている。それほど太いわけではないんだが、かといって見落とせるようなものでもない。トンネルの前後に連なって、消失点まで揺らぎもせずにまっすぐに続いているんだ。

まあ、これも一見ただの光るラインに見えるが、実はとんでもなく短い光ビームのパルスなんだ。実際、1秒間に100京回のサイクルでON/OFFが繰り返され、そのタイミングは極めて厳格に制御されてる。というか、これがハイウェイ全体の基準となるタイム・ライン、すなわち基準クロック信号なのさ。どの車もこのクロックを受信してその速度を計算し、それとの相対速度で運転をコントロールしてるんだ。だからこそトンネルは幾何学的に正確な正円で、その理論的中心をクロックラインが走っているというわけだ。久遠の果てから永劫のかなたまで続くような巨大なトンネルの軸として。

だが、そうした風景も、実は単なる片車線分に過ぎない。逆方向に向かうラインは別にあるし、時に応じて合流や分岐のためのポイントがところどころにある。おれたちの入って来たゲートも、無数にあるそうした合流点の一つだ。そういうイレギュラーな流れを誘うちっぽけなポイントに来るたび、光の点が交差し入り交じりながらトンネル全体のパターンが変わって行くんだ。それはきれいなもんだぜ、そういう見方をすればな。

まあ、そんな所を突っ走っていると、時間なんて感じない。ただ、モニタ上の現在位置を示す点がわずかずつ移動するだけだ。おれはマシンシティのゲートが近いことを確認した。

おれは、もう一度ハンドルを握り直すと(まあ気持ちとしては、ってことだ。ここじゃあおれのネイティブ機能がハンドルを取ってるんでね)、アクセルを全開にして一気にギアをトップまで持っていった。車の表面の色が見る見る変化していく。青みがかかったと思ったら深い群青色、紫がかってくると次第に明るさが落ち、かわりに「オーラ」のようなものが彗星のようにふきだして流れているようだ。もう可視光の範囲を半分以上超えている。

ここまでくれば、もう前を行く邪魔なヤツにも頓着なしだ。避けてくれればそれでよし、まごまごしているヤツにはそのまま追い付き、突き飛ばすようにぶつけていく。それでもこっちのスピードに影響は無い、単に弾き飛ばしてしまうだけだ。

トップスピードのまま、おれはゲートが視界に入ったのをぼんやりと感知した。このスーパーハイウェイはマシンシティの入口で終点となっている。そこでセキュリティチェックを受け、行き先を確認し、必要ならパケットをばらして荷物を小分けしてからシティに入ることになる…正規の手続ならな。ゲートを抜け、ファイアウォールの向こうに入るには、いくつものチェックポイントを通過していくことになる。

もちろん、おれたちの場合は通行手形もなにもない、ただの関所破りだ。とにかく強引に突っ切るしかねえ。おれはただ一言、ぼそっとつぶやいてゲートに突入した。「通るぜ!」

もちろん、チェックポイントだって無防備じゃねえ。突っ込んで来るものはなんとか止めようとするさ。だが、おれたちは最初からそのつもりだから、幾重にもカプセルの殻をかぶせて来ている。チェックポイントを通るたびに、そうしたダミーのカプセル殻が鮮やかに燃えあがり、それをを次々と脱ぎ捨てながら次へと進む。スピードが落ちるとダミーの効果も弱まるから、ずっとフルスロットルのままだ。それでも次第に車体にかかる抵抗が大きくなってくるのがわかる。なんとか抜けるまで持ってくれよ!

そして、いきなり負荷が消え、おれたちはゲートを抜けた。もうその頃にはふつうのバンくらいの大きさにまで縮んでたが、中の積み荷…仲間たちには全然問題ない。かえって軽くなった分、姿をくらましやすいくらいだろう。おれはそのままマシンシティのメインストリートへと入った。


マシンシティには、まだ人間が出入りしていたころの環境がそのまま残っている。もう過去の遺物みたいな単純なヤツだ。基本的には遠近感のない白い空間に幾何学図形ののっぺりしたオブジェクトが並び、その構造はワイヤフレームで支えられているだけだ。まあ、こぎれいにまとまったメインストリート自体もそう長くはない。ただ、そこから横道に入っていくと幾何級数的に枝路が増えていき、最後には膨大な空間に広がっているんだ。

レベルを下に降りていけば行くほど、個々のオブジェクトも細かくなってくる。それぞれのオブジェクトのバリエーションも増え、似たようなものからどうしてこいつがここにあるんだ?ってなヤツまでが並んでいる。それぞれが何らかのハードウェアやソフトウェア、あるいはやり取りされる情報などの特定のリソースを扱う場所だ。たまに広場のように開けた場所(キャッシュって言ったっけ?)があって、モノが取り引きされていたり、逆に野ざらしにされてる荷物がころがってたりする。さらに、それぞれのエリアを結ぶバイパスが地下トンネルや高架線で何重にも重なり、縦横無尽に絡み合ってるから、移動するにも土地カンがないとどうにもならない。迷子になったらまたメインストリートまで上ってやり直すしかねえだろうな、それもできれば、だが。

もちろん、マトリックスとは比べ物にならないほど幼稚な仮想環境では、表現できるのはまあこんなもんだろう。実際はそれほどひどい街じゃない。ロジックが解ってれば行きたい所へ最短距離で行けるし、必要な時には必要なものがほぼ間違いなくすぐ近くにあるはずだ。見る目さえありゃあ、どれがなにかも間違いなくわかる。ただ、それが人間向きに整理されていないだけなんだ。というか、機械にとって最適化された世界を人間の感覚でむりやり再構築したバーチャル・ディスプレイなんだから、そもそもに無理があるわな。

それでも、表通りの単純さとは裏腹に、シティの奥深い所にある複雑さは、どこか「美しい」ものに見えるようだな。おそらくここ何百年のあいだで、ここまで入り込んだ初めての人間にちがいないN.K.とアッシュは、行く先々で見るものに感動し、わいわいとはしゃぎ回っている。まったく、人間の感覚っていうのは解らん。

とにかく、おれは車を昔なじみのガスステーションに入れた。店長も昔のまま、あいかわらず愛想がない振りをしながら、フロントガラスを磨いてくれる。なにも聞かねえが、おれがむかしここから逃げ出したのは知ってるはずだ。それでも何も変わらずにサービスしてくれるのはトラック野郎の仁義ってもんかな。D.D.が中で電話をかけ、すぐに戻って来た。

「OKだ、おやっさんがいてくれた。裏の工作室もそのままだそうだ、開けといてくれるって。」助手席に乗り込んだD.D.が告げる。他のみんなは後ろに乗り込み、おれは店長にチップの大判振るまいをして車を出した。

行き先はD.D.がむかし働いていたメカニック・ファクトリーだ。そこのおやっさんにはおれもずいぶん世話になったもんだ。メンテに関してはたぶんD.D.よりも上だろう。D.D.はどちらかと言うと開発タイプのメカニックだしな。ファクトリーの表で警笛を鳴らすと、そのまま裏に回り開いている門からバックヤードに乗り入れる。そこにある「工作室」(といっても並のガレージ・ファクトリーくらいのサイズがある)の扉を開け、車を中に滑り込ませた。

ギアをパークに戻してエンジンを切り、車を出たおれは、改めて愛車を眺めた。まだ湯気の立っているエンジン、いくつか弾痕のあるコンテナ、キラキラと輝くフロントガラス…。ありがとよ、相棒。またな。


おれが部屋に入ると、おやっさんが出迎えてくれた。「おほっ、ヘポ!元気かね?おや、無駄な質問をしちまったかな。」そういって笑った。D.D.はもう部屋の調度を確かめ終え、サティとフランソワに台所を説明してる。そのとき、N.K.とアッシュがおれの後ろで変な顔をして立っているのに気が付いた。

「どうした?入れよ!これがN.K.とアッシュ、人間だぜ、おやっさん。この人がしばらくお世話になるここのおやっさんだ。」おれは二人を紹介した。おやっさんは微妙に感慨深い目線で二人を眺めているが、それでも笑みを絶やさねえで待っている。ところが、あの二人と来たら、なにか幽霊でも見たように脅えたような、ちょっと警戒したみてえな顔つきで動こうともしない。どうしたんだ?

そのときやっとおれは気が付いたね。連中は、マトリックス仕様の「シェル」に入っていないプログラムに会うのは初めてなんだ。おれたちプログラムは無意識のうちに標準シェル仕様に切り換えて見ているから違和感はないが、あいつらにはそんな事はできない。ここの貧弱な環境では、かろうじて手足と頭のあるのはわかるだろうが、それ以上の細部がほとんどない、燐光を放つ動くかたまりにしか見えないはずだ。文字どおり幽霊のように見えているにちがいない。おれはそのことを二人に説明した。

「だって、あんたは普通に見えてるじゃないか?」N.K.はまだのみ込めていないようだ。

「だーかーら、おれはマト仕様のシェルを持ってるんだってば!ここでは同じ仕様のシェル同士はダイレクトに情報を交換できるから環境に依存せずに同じように見えるんだ。互換性のないシェル同士の場合は、仮想環境経由で接続するしかないから、当時の汎用インタフェースレベルでしか見えないんだよ。とにかく、素直に納得しろ!おやっさんも、同じように見える奴らもみんな、おれやケリーと同じようにまっとうなプログラムなんだからな、そのように礼儀正しくしてくれよ!」

アッシュは前に出て、おやっさんに手を差し出して名乗った。「オレはアッシュだ。よろしく。」

「おお、わしのことはこいつと同じようにおやっさんと呼んでくれて構わんよ。」おやっさんも手を差しだして握手した。その言葉はちょっとしゃがれ声に聞こえるが、ニュアンスはうまく出てる。まあ、この環境ではこのオーディオレベルが精いっぱいか。それでも、その声を聞いてN.K.も安心したようだ。

「おれはN.K.です。よろしくおねがいします、おやっさん」少し照れたように手を差し出すN.K.におやっさんは手を握って答えた。「ほっほっ。よろしくな。ゆっくりしなされ。」

それたちはそれぞれの手荷物をもってねぐらを確認した。お嬢様ふたりで一部屋、あとは…まあ、どこででも気に入った所で雑魚寝だ。D.D.もおれもガレージで寝るのは慣れてるしな。とにかく、落ち着いた所でサティがお茶をいれたので、みんなで一服した。

だが、ケリーはやっぱり落ち着かないようだ。そりゃーそうだろう、マトリックスから帰って来るのはおそらく初めて、こっちがどうなっているのかもほとんど解らないはずだ。おやっさんも車仲間の情報は詳しいが、それ以外はからっきしだった。

「ケリー、電話はあっちだよ。遠慮しなくても良いからさ。」D.D.が声をかけた。ケリーはみんなを見回し、それからモノも言わず電話のある部屋に向かった。ヤツは受話器を取ったまましばらくためらっていたみたいだが、結局ダイヤルを回した。すこし待たされたあと、どうやら相手が出たらしく、なにかを話しはじめた。もれ聞こえるそのラフな口調からは、おそらく昔の友達だろう。ま、いきなり彼女に電話して、さあ駆け落ちしましょう(笑)ってなわけにもいかんだろうしな。

「なに!?いつだ!?」突然のケリーの怒鳴り声に一同が沈黙する。「…本当か、嘘じゃないだろうな?…すまん、…そうしてもらえるとありがたいな。…ああ、わかった。ありがとう、また連絡する。」

電話を置いて部屋に戻って来たケリーの顔色はただ事じゃあない。さすがのアッシュも茶化しに出られないようだ。ケリーは椅子にへたり込み、残っていたお茶を一気に飲み干した。だれもなにも言わない。

「どうしたの?」サティがおそるおそる聞く。

「彼女が…、マヤが結婚する。式は来週だそうだ。」

そう言ってケリーは黙り込んだ。

>> To be continued ... >>

(2004.1.18)



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2004.10.15 編集