Matrix最終解説/Matrix Restart Q&A


本Q&Aは主に、THE MATRIX WORLD BBS「新ネタバレ掲示板(現ネタバレ掲示板)」や「ご意見ボード」、あるいはメールなどでのやりとりをもとに、私(TOMO)個人の解答(解釈)をまとめたものです。異なる意見も多々ありましたが、ここでは割愛させていただきました。興味のある方は、上記サイトBBSをご覧ください。


Q: セラフって何者?もと救世主?

Q: 「ソース」っていったい何?

Q: 結局のところ、オラクルの「預言」って何?

Q: マトリックスのプログラムたち(エージェントもエグザイルも)が妙に人間的に見えるのはなぜ?

Q: リロで、アーキテクトがネオに選択を迫った二つのドアの意味は?

Q: パーセフォニーが娯楽制御プログラムというのは、どこからわかるのか?

Q: サティの母親の仕事である「インタラクティブプログラマ」というのは、どのようなものか?

Q: 全てのプログラムはそれぞれ「誕生の時点で設計された機能」があるというのに、誕生した後に「その機能がマシンシティの役に立たない」と判定され、削除される、とのこと。そうした役に立たないプログラム(すなわちエグザイル予備軍)が作られてしまうのはなぜ?

Q: 解説では、全員に組み込まれた自由選択プログラム=救世主プログラムであり、その発現のさせ方・程度が違うだけ、となっているが、 アーキテクトのせりふでは「プログラム=人間に与えられた自由選択プログラム/The Oneの機能=救世主の持っているコード」としか明示されておらず、必ずしも一致していない。この二つのプログラムは別のものではないのか。

Q: トリニティのキスでネオが生き返るのは、いったい何が起こったのか?

Q: 先読み部分に「オラクルが人間の子供に「超能力」を教え込むことまで手を出すとは考えにくい以上、あれ(オラクルが世話をしていた子供たち)は「プログラムの子供」と考えるしかない。 」とあるが、あの子供たちは救世主候補の人間ではないのか?ザイオンでネオにキッドを通してスプーンを渡したのは、ネオにスプーンなんか無いんだと言った子供が、アノマリーとしてザイオンに救出された存在だと解釈できるが。

Q: Restartの「N.K.の肉体に眠る遺伝子に刷り込まれていたネオの能力を...」のくだりは、N.K.がネオの子孫だということなのか?

Q: 「遺伝子に刷り込まれていたネオの能力」というのは、具体的にいうとどういうものか? 

Q: Restartで、サティが美しく成長しているとなると、スミスは脱毛がかなり進行しているのだろうか、パーセフォニーはお婆さんになっちまってないだろうか等、他のプログラムが気になるのだが。


セラフって何者?もと救世主?(2006.12.10追加)
 
セラフはおいしい役どころの割には明確な情報がないんですよね(^^;)。
 
断定はできないのですが、もと救世主ではなさそうに思います。というのは、そもそも救世主(The One)というのはシステムにおさまりきれない究極の例外ですから、いかに飼いならされたといってもシステム側のキャラになるとは思えない。アーキテクトの説明でも、過去の救世主(The One)はコードを戻したあとザイオンの再建に向かったことになっています。それに、人間であればそんなに長生きできそうもないし。
 
セラフについてハッキリしているのは、
1)オラクルに仕えている
2)マトリックス内では超人的な能力がある
3)バックドアを使える(場合によるけど)
4)メロビジアンやトレインマン、あるいはエージェントたちなどとも知り合い
といったあたりでしょうか。
1からは明らかにシステム側の存在であることがわかります。2、3では、どこかエージェントとの類似性が伺われます。そして4では、マトリックス内にとどまらない腐れ縁(笑)が感じられるんですが。
 
ということで、個人的には「特殊任務についたマシンシティのエージェント」的な存在ではないかと考えています。
その方向での(まったく根拠なしの)セラフの詳しい過去については、わたしのオリジナルストーリーMatrix Restartの「過去」をどうぞ(^^;)
 

「ソース」っていったい何?(2004.5.13追加)
 
通常、"source"というと。「源、源泉、根源/原因/出所」という意味ですが、コンピュータ用語では「ソースコード」つまり実行形式にコンパイルされる前段階としてプログラム作成者が作成するプログラムコードを指します。それは、新規作成だけでなく、修正やバージョンアップ等の際にも『ソースへ戻って』修正し、それからコンパイルし実行する、という段取りが必要なものなのです。
 
ただし、映画そのものでは、「ソース(The Source)」という言葉が使われています。これは、定冠詞the+頭が大文字なので、おそらく固有名詞として使われているものと思います。この言葉として言及されているのは、以下のようなものがあります:
1 The One機能のコードを回収し、次回のアップデートに反映させる(処理を行う)場所[リロ:アーキテクトとの会話]
2 不要になったプログラム(とそのリソース)が回収されるリソース保管庫[レボ:オラクルとの会話]
3 物理的なハードウェア(「マシンのメインフレーム」)、あるいはその所在地[同上]
4 ネオの感じることのできるような(『ソースの力を感じた』)、なんらかの「力」(処理能力/パワー源/環境を維持する力/など)[同上]
5 最終的な結末を迎える場所(あるいは時期)
 
このどれかというものではなく、おそらくは全部を包容するものであると思います。一番大きいくくりは、「マシン世界を管理・統括するハード/ソフト/データの活動の集合体」という感じでしょうか。でも、そうすると、「ソース」の意識(意思決定機能)が擬人化されたものがデウス・エクス・マキナ、ということになりそうですね。つまり、アーキテクトやオラクルがしきりに「ソース」を匂わせていたのは、単に場所や機能、あるいは力を得るための条件というだけでなく、ネオ(人類)がマシン世界そのものとサシで向き合う/連合する必要(願望?)を示唆しているのではないでしょうか。
ソースの力だけでスミスを処理できるのなら、ネオはいらないはずです。スミス+彼に乗っ取られた力に対抗するために、ネオの力が必要でなければ取り引きは成立しません。それに、スミスの力も元をたどればソースに行き着くはずです。つまり、力はもとから同等とも言えるのです。しかし、ベクトルで例えて言えば、スミスのベクトル(方向と強さ)を相殺できるのは、ソースの力(強さ)だけでなく、まったく逆方向であるネオのベクトル(方向)が揃った場合だけ、ということです。どちらかだけではスミスには勝てません。これがネオと「ソース」の関係における要点ではないかと思います。
 

結局のところ、オラクルの「預言」って何?(2004.4.11追加)
 
「論理的に(オラクルの論理の上で)可能な選択肢とそれぞれの結果を予測した結果の一部」と考えています。単純な結果だけでなく、その過程をも含む予測内容を(おそらくは意図的に)リークしたもの、とでもいいますか。
物事の進行を予測する場合における「過程」というのは、それぞれの予測の分岐点での処理ですから、どの程度深く先読みするかによって当然不確定性は増加するでしょう。確率の問題です。より多く予測すれば、より多くの結果の可能性が増えるわけです。100の結果が可能である予測した場合、その100通りの過程をすべて把握しているとおもいますね、それぞれに実現可能性の%つきで。
ただし、それでもオラクルの予測が100%の事象をカバーしているとも考えません(他のだれよりもよく把握しているのは確かですが)。したがって、誤ったり、予想外の事態が発生することはあるとおもいます。そういった意味での選択肢ですから、選択肢もその結果も複数あるわけです。しかも、最終的に選択するのは(場合にもよりますが)当事者なので、当事者ではないオラクルにはすべてを断定できないだろうと思います。
スミスがラストで話が違うと驚いたのも、その辺の勘違いがあるとおもいます。おそらく、ネオが倒れたところまでの(自分に都合の良い)予測で満足してしまって、その先の予測を打ち切ってしまったのでしょう。
 
なお、予測する事自体は結果に対して影響することはありませんが、その予測を当事者が知ることは結果に対して影響を与える可能性は大きいはずです。したがって、オラクルの預言はある程度誘導していると言えるかもしれませんが、それはオラクル(システム)自身の選択という選択肢なのでしょう。オラクルの言うように、プログラムも自分の意志によって選択する場合があるので、それを誘導と言い切ってしまうのはすこし酷な気がします。あいまいな言い回しもその辺の配慮の現れでしょう。
さらにいえば、結果の吉凶は判断する者の主観的な価値観です。オラクルはそのことをわきまえていて、自分の価値観で判断するような愚を犯さないとおもいますね。
 

マトリックスのプログラムたち(エージェントもエグザイルも)が妙に人間的に見えるのはなぜ?(2004.4.11追加)
 
まず、「マトリックスにいる人間が現実の人間と見分けがつかないわけ」を考えてみましょう。わりと簡単に「ジャックイン」と言ってしまっていますが、決して人間がマトリックスに入り込んでしまった訳ではありません(肉体は現実にあるのですから)。あくまでも、当人の意識として「そこにいる」ように感じているだけなのです。
具体的に言えば、すべての感覚入力/出力を現実の肉体からマトリックスに切り換えてしまった状態です。皮膚を針で刺すと痛いと「感じ」ますよね?現実の肉体では、皮膚の触覚点や痛覚点が刺激され、その刺激情報が神経を通じて脳に伝わり、脳でその発生点や伝達経路、そして情報内容を(無意識に)解釈して「痛い」という感覚として意識する、という流れになります。おそらくマトリックスのシステムでは、この刺激の発生から伝達経路までをコンピュータがシミュレーションして置き換えるべき情報を作成し、脳に伝わる直前(もっとも効率的にすべてを切り換えることのできるポイント)で「感覚入出力の差し替え」が行われるのでしょう。
実際の人間の感覚でも、意識して感じることはほとんどないはずです。上の例でも、「痛いと意識する」前までは(反射行動もふくめて)ほぼ自動的に処理され、その結果だけを受け取ってはじめて「いてっ!」となるわけです。したがって、マトリックスのシミュレーションでも、その過程は、人間の反応パターンとして一般化され、ほぼ自動化されているはずです。そうでなければ、意識したときに違和感が残りますからね。その基本パターンをまとめて量産型汎用プログラムとして開発されたのが、マトリックスの「シェル」と考えています。
このシェルは、人間の仮想肉体として開発されたものですが、あくまでも「意識」以外の生体部分をシミュレートするものです。マトリックス内の人間における「意識」の部分は、現実の人間の(おそらく脳の働きによる)意識に頼っています。しかし、シェルというプログラムからすれば、規定の入出力ルールにのっとってさえいれば(この場合の「入出力ルール」は、人間には生来のものとして備わっているわけですから問題になりません)、出どころはどこでも、何でもいいわけです。すなわち、AIプログラムであっても。
オラクルの容姿が変わってしまったのも、メロビジの攻撃でシェルを失った(つまり新しいものに変えた)ことによるものですから、おそらくは人間の形をしているプログラムはすべて同じようなシェルを利用していると考えられます。で、人間の基本反応パターン(制約)をもつシェルを利用する以上、その動作が人間的になるのは避けられないわけです。おそらく、プログラムがシェルを利用するための「規定の入出力ルール」自体にも、人間として不自然な動作を制限する要素が含まれているのでしょう。
ただし、これはあくまでも「無意識下での反応パターン」ですから、意識的な反応(あるいは反応の欠如)についてはこれではまだ不足です。その部分は、AI としての「意識のシミュレーション」で補っているものと考えられます。喜怒哀楽の感情表現などは、状況判断や性格分析などのシミュレーションから発生させることができるでしょう。あるいは、肉体的な表現方法(泣く/笑うなど)もパターン化されていて、それに対応する「意識パラメータ」で自動的に再生されるようになっているかもしれません。しかし、それでもそのトリガーは、あくまでも「意識(状況判断)」からくるもののはずです(かならずしも人間のそれと同じであるとはかぎりませんが)。そうでなければ、リアルには見えませんからね。
というわけで、マトリックス内の人間とプログラムはほとんど見分けがつかない動作をするわけです。人間を基準にかんがえれば「人間らしい」動作、プログラムからすれば「人間仕様の」動作、という感じですけれども、結果は同じことになります。
 

リロで、アーキテクトがネオに選択を迫った二つのドアの意味は?(2004.1.29追加)
 
実質的な選択肢はこの二つです。
 
●The Oneのコードをソースに戻し(マトリックスの安定を回復させ)て、ザイオンの現住民全員を見殺しにした上で、改めてマシン公認の植民団によってザイオンを再建する。
↓↑
●The Oneのコードをソースには戻さず(マトリックスを不安定なまま放置し)、ザイオンの現住民と運命を共にする。
 
あの時点で提示されたのは、トリニティ(すなわち個人間の愛情)と全人類(種全体への忠誠)を秤に掛けた選択ではありません。むしろトリニティの件は、単なる周辺事情でしかないはずです。自分の予測を絶対と信じているアーキテクトにとって、明らかに人類の滅亡に至る判断を下そうとするネオの行動は、不合理な「感情」に押し流されたとしか理解できないのです(ま、たしかにネオ自身にとっては、その背中を押す大きな要因ではありますが)。
ここで注意しなければならないのは、選択の結果については「アーキテクトの予測」は語られているものの、ネオ自身の予測が明確にはいっさい語られていない点です。つまり、語られている説明はあくまでもアーキテクトの論理的/確率論的な予測でしかなく、ネオが異なる見込みを持っていてもおかしくありません。むしろ、その後の行動を考えると、その方が自然でしょう。

「コードをソースに戻せばマトリックスの安定が回復する」
しかしそれでは、単にまた同じことを繰り返すだけじゃないか!そのサイクルを永遠に繰り返すことは可能かもしれないが、戦争の終結につながる決定的な安定化とは言えないぞ。

「マシンの攻撃にザイオンは耐えられない(全員が殲滅される)」
そうかな?今度はちょっと違うかもしれない、このボクがいるし(笑)

「ザイオンが無くなればマトリックスも壊滅する」
本当かな?現状の安定化システムは無くなるかもしれないが、他にも方法はありそうだ。例えば、単純に例外因子をさっさと粛正し、たまにリロードでもすればそれなりに持ちそうだが?バージョンアップだって、The Oneのコードがなくても可能な方法はいくらでもありそうだ。

「ザイオンもマトリックスも壊滅したら、人類は絶滅する」
おいおい、人類はそんなにヤワじゃないぞ!そっちがその気でも、な。

アーキテクトの言い回しでは、一見、人類の運命をその場で決定するかのような印象がありますが、それはアーキテクトの予測を前提とした場合にのみ成立する見方です。アーキテクトと異なる予測(が可能であること)を前提とすれば、「どちらが人類のためになるか」という程度問題の選択でしかありません。そこでネオの中で迫られた真の選択(判断)は、単純にアーキテクトの予測(つまりマシンの判断)をそのまま受け入れるか否かの選択だったのです。ある意味では、<「機械は誤らない」信仰>の枠の外へ出ることができるのかどうか、ともいえるでしょう。それはひいては、現在の人間とマシンの関係を根底から覆す意志があるかどうか、という「革命」に繋がっていきます。
 

では、The One No.6であるネオの選択理由とは一体なんだったでしょうか?これは私の推測ですが、こんなかんじでしょう。
 
…自分のソースがなくても、そうそうすぐにはマトリックスも崩壊するまい。そのうちにまた別のThe One No.6.1が出現してソースを提供する可能性もあるだろう。The Oneが何人もいたのなら、なにもいま自分一人で全てを背負い込む必要はないはずだ。
…ザイオンがマシンの攻撃に耐えて生き延びる可能性はあるはずだ。よしんばザイオンが陥落したとしても、人類はどこか別の場所で存続していくこともできるだろう(マシンの目論みも解ったことだし)。そうすればマシンの押し着せではない、人類による人類のための真の例外受け入れ体制も夢ではないし、そうしてマトリックス解放闘争を続けることもできる。
…いずれにせよ、トリニティを見殺しにしてもなんのメリットも無い。むしろ、強力な戦力を失うだけだ。それはザイオンについても同じこと、ボクは両方を生かすべく努力すれば良いだけの話だ。
…だいたい、いまこの場ですべてをあきらめなければならない理由がどこにある?やってみてもしダメだったら、それからまたここへ来て、あっちのドアへ入っても遅くはあるまい。そうすれば、すくなくともトリニティが生きてさえいれば、一緒に生き残ることだってできるかもしれない。
 
ただ、何らかの勝算がネオの胸のうちにあったのかどうかは微妙なところです。まず間違いなく、具体的な戦略は無かったでしょう。その意味では、アーキテクトの言うように現実に目をつぶり楽観的観測にすがっている、というのが実際のところかもしれません。あとは「野性のカン」とでも言うものがあったかどうか、です。
実はこの点でもうひとつマシンの策略が隠れている可能性があります。そもそも、アーキテクトの言葉には「論理と因果を押し潰すように特に設計された感情」というフレーズが出てきます(リロ・ラスト)。誰が、いつ、どこでそんな感情を「設計」したというのでしょうか?単なる自然淘汰の暗喩なんでしょうか、それとも?「感情」→「野性のカン」→「虫の知らせ」→「予知夢」…。そう、オラクルの干渉という可能性も否定できません。オラクルの行ったという「危険なゲーム」(レボ・ラスト)とは、もしかしたらこのことではないでしょうか(それだけとは限りませんが)。
しかしまあ、仮にそうだとしても、オラクルがどの程度の役割を演じたのかは定かでありません。ネオの肉体誕生時に遺伝子操作で感情面を強化したのか、The Oneのコードに感情を刺激する要素を含ませたのか、あるいは無意識下への情報(虫の知らせ)供給ルートを組み込んだのか、もしやトリニティとの関係を意図的に取り持ったとか(「あなたはThe Oneを愛することになる…」)、それとも単純にアーキテクトの予測と異なる予知夢を見せたのか…。とにかく、ネオにアーキテクトの予測を疑うきっかけを与えてやればいいわけです。なんのために?もちろん、The Oneにこれまで(前任者)とは異なる判断をさせて、状況を変化させるためです。
 
「変化って、常にそういうものじゃないかしら?」
 

アーキテクトがハードウェアまで設計できるという根拠は?
 
私の推定です。マシン世界が自立している事実から、マシン自体がハードウェアを設計・製造していることは推測されます。マトリックスが完全にソフトウェアだけで構築されている可能性はありますが、ハードウェアも併用されていてもいいだろうし、その場合の設計はソフトウェア仕様に最適化されたものであるべきで、その設計にはアーキテクトが適任であろうと推測しました。映画そのものには、明確な情報はありません。
 

「オラクルはアーキテクトが作成した」となっているが、アーキテクトの言葉からは、立場は違うがMATRIX建設に関しては対等程度の存在、とも受け取れるのだが。
 
リローデッド最後のネオとアーキテクトの会話で、最初はアーキテクトだけでマトリックスを構築したが失敗し、試行錯誤の末オラクルを利用することで現状のマトリックスになったという描写があります。オラクルが別のプログラムによって作成されていて、それを流用した可能性はありますが、それをぜひとも必要としたアーキテクトが作成する必然性はあると思います。わたしは偶然よりも必然性を採りました。
いずれにせよ、(開発のいきさつはともかく)最新版マトリックスを成立させる上で、オラクルの立場はアーキテクトと対等である、という点はたしかにその通りですね。それもアーキテクトの好む「バランス」の現れではないかとも考えられます。
 

パーセフォニーが娯楽制御プログラムというのは、どこからわかるのか?
 
パーセフォニーがネオとトリニティの関係、それも性的なキスという形で興味をもっていたので、そういう要素に興味を持ちうるプログラムとはなにか、と考えて娯楽(快楽中枢)の制御プログラムではないか、と推測しました。
 

サティの母親の仕事である「インタラクティブプログラマ」というのは、どのようなものか?
 
「インタラクティブ」とは「相互の」「対話式の」などという意味のようです。私はそこから、端的に言ってヒューマンインターフェース(マシン同士の場合はそれに相当するもの)を設計・構築するプログラムと考えています。人間相手の場合のインタフェースではルック&フィールはかなり重要な要素を占めます。サティの能力が(朝焼けのような)美の創造ということから、推定しました。プログラム同士の関係でのルック&フィールがどんなものかは想像できませんが。
単純に「関係性の設計」プログラマと取るなら、わたしの言うインタフェース設計をも含むもっと大きな(重要な)ポジションということでしょうか。その中で、関係の接点を円滑の動かす要素の一つ(の試み)が「美」であり「愛」であったのかもしれません。
 

全てのプログラムはそれぞれ「誕生の時点で設計された機能」があるというのに、誕生した後に「その機能がマシンシティの役に立たない」と判定され、削除される、とのこと。そうした役に立たないプログラム(すなわちエグザイル予備軍)が作られてしまうのはなぜ?
 
マシンが全能になるにはまだまだ、というところでしょうか。
まあうまく動作しなかったりバグがあったら論外ですが(それでも、物理法則は変えられないと思うのでトライ&エラーはあるでしょう)、意図した機能は果たすけれども、アルゴリズムやアプリケーション(実際の使用条件)によって、差が出ることはあるでしょうね。物理的なコストがオーバーしてしまったとか、リソース条件が途中で変わってしまった、別のところから新しい発明が出てきて単純に発想が時代遅れになってしまった、とか。いまでもよくありますよね。SEのみなさんお疲れ様です(爆)。
まあ、一番ありそうなのは、意図的に複数のアプローチをとって作成し、一番よいものを選ぶというシステム(コンペですな)になっている、というあたりではないでしょうか。けっこう現場(のプログラム)に実験の権限はありそうです、いろいろと。
 

解説では、全員に組み込まれた自由選択プログラム=救世主プログラムであり、その発現のさせ方・程度が違うだけ、となっているが、 アーキテクトのせりふでは「プログラム=人間に与えられた自由選択プログラム/The Oneの機能=救世主の持っているコード」としか明示されておらず、必ずしも一致していない。この二つのプログラムは別のものではないのか。
 
たしかに自由選択プログラムと救世主プログラムが「常に100%」一致しているとは言えないと思います。
まず、プログラムの結果的な効果の違いについて考えられるのは、次の3つだと思います。
 
a)プログラムそのものが違う
b)プログラムの使い方(人間側の要素)が違う
c)aとb両方の要素の組み合わせ
 
まずa)についてですが、
たしかに全員が全く同じプログラム「でなければならない」必然性も無いと思います。リロード直後はほぼ同じかもしれませんが、時とともにマイナーなバージョンアップが図られても不思議ではありません。そういう意味で、リロードの時点では最新メジャーアップデートの自由選択プログラム=救世主プログラムであり、追加されていくマイナー部分(救世主自身が改変する可能性も含め)に特有な機能を救世主プログラムと捉えることも可能だと思います。そして、最終的な救世主プログラムを組み込んだものが次期自由選択プログラムとなる。そのほうが自然かもしれません。
 
b)は使い方の問題、つまり「人間が与える可能性のあるパラメータ」次第、ということですね。想定外のパラメータ(ネオのような肉体的要素も含めて)で想定外の動作をしてしまう。エージェントの活動はリミッターのようなもので、それを超えるとヤバい、という(笑)。
 
c)は文字どおり両方の組み合わせです。いちばんありそうなことだと思います。つまり、本来の自由選択プログラムが使い方で救世主機能になる場合もあるし、試験的な救世主プログラムによって救世主が(確率上の必然として)現れる場合もある。
いずれの場合も、「想定外の動作をしたコード」か「想定外の動作を引き起こすパラメータ」という情報のいずれか、または両方を解析し、それをもとに次期システムのバージョンアップを図る、というのがリローデッドの姿となります。
 
私自身は(特にネオの場合)b)の要素が大きいと考えたので、自由選択プログラム=救世主プログラムのような表現になってしまいましたが、ご指摘のように「かならずしも100%イコールではない」というのが適当だとおもいます。
また、自由選択プログラムの一機能として、「自由選択プログラムそのものを改変する」機能が組み込まれていてもいいですね。自己バージョンアップ機能とでもいいますか。そのトリガーとパラメータは人間側b)要素であって、その結果a)が発生する。その意味ではc)の試行錯誤プロセスがあらかじめ組み込まれているようなものです。それならソースの回収もうなずけるし、救世主の発生に人間が必須(アーキテクトの設計だけでは不十分)ということにもなるとおもいます。どうでしょう?
救世主プログラムは特異な能力を「意志の力で」発揮できる能力、とも言えるかもしれません。それは、「自由選択=自分の意志で選択する」の上でその選択を実行する(つまりマトリックスの中に影響を及ぼす)能力の延長線上である、というのが私の解釈です。
わたしのイメージする「The One =救世主(今回の映画の中ではネオ)」はあくまでも「程度が極端なレベルまで達した例外」であって、それほど特別なものではありません。たとえば、モーフィアスやトリニティの「ジャンプ」のレベルがあがるとネオの「飛行」になる、っていう感覚です。マトリックスに何人の人間が繋がれているかはわかりませんが、100年なり1000年なりに一人だけ発生する例外を確率論的に想像するのは、私にとっては十分想定の範囲内です。いずれにせよ、そのレアな「一人」が発生することがリロードのトリガーであって、確率が高いのであればそれだけ頻繁にリロードされるだけだとおもいます。
うまく表現できるか若干不安ですが、あえて私の定義を一言で言えば、「救世主(The One)」とは、「対応しなければマトリックスの存続を不可能にしてしまう要素」、というものです(「要素」というのは、プログラム自体と動作パラメータ、両方を含むとするのが妥当でしょう)。それに対応するためには情報を回収・分析してソースに組み入れる必要がある。ソースに組み入れたらリロードの必要がある。「人間にとっての救世主」という感覚は全くありません。(もしかしたら、「救世主」という訳語が誤解のもとかもしれませんね。)
ぶっちゃけた話、わたしが「自由選択プログラム=救世主機能である」という仮定を採用したのは、その仮定ひとつであとの辻褄がほぼすべて合うからです。
救世主機能を別のものと考えると、リロラストのネオとの会話でアーキテクトがせっせと成り行きを語っているのは、(すくなくとも最初の部分は)自由選択プログラムのことであって、救世主機能のことではない、ということですよね。では救世主機能については「そもそも何で、誰が、いつ、どこで、どのようにして、何のために」が丸々一式、アーキテクトの説明としては無い、ということになります。そうなると、仮定の山にならずに構築するのは面倒だったからです(苦笑)。
あと、ネオとアーキテクトとの会話全体がTheOne(とその最終選択)についてのものだと理解していました。流れとしてずっと「プログラム」の話をしていて、突然「機能」が話題に出たので、その「機能」を「プログラムの機能」と受け取ったわけです。
それから、私の言う確率的必然というのは、それなりの数の母集団があって成り立つものなので、「例外の総計」が母集団になる、というイメージです。The Oneは「不慮の事象(予測できない結末)the eventuality」ではあっても「予測できないものではないit is not unexpected」というアーキテクトの表現からも、確率的には予測可能だが、それ以上具体的な個々の事象としては予測不能という感じでうけとりました。

 

トリニティのキスでネオが生き返るのは、いったい何が起こったのか?
 
現実の世界でも、いわゆるショック死というのはあるので、死んだと確信すれば人間が死ぬことはあり得ると思います。では、死なないと確信すれば死なないか、というと、これは確信の程度だとおもいます。ただし、「確信している」という、いわば頭で理解しているという程度では、肉体の反射反応を押さえられないのではないでしょうか?ネオでさえ「ショック死」してしまうところからも、生身の人間である以上は避けられないと推測できます。
で、本題。マトリックスでの死による生身の死がショック死だとすると、物理的な障害というよりは神経反射的なものだと思います。そして、現在でも心停止に対する対策は「電気ショック」。つまり、適当な電気ショックを与えてやれば、再び心臓を起動することは可能でしょう。なので、ネオがワイヤで繋がれたトリニティに電気ショックを送って復活させた(心臓を手で揉むタイミングでショックを送る訳ですな)のは納得できるでしょう。
では、トリニティがネオを復活させることができたのは?これは私のネオ=超電流敏感人間説が前提ですが、ネオが究極の状態で超過敏になっているタイミングでトリニティがキスした結果、トリニティの生体電流によるショックで心臓が再起動したのでは?ほら、よく言うじゃないですか、キスすると電流が走るって(笑)また、トリニティ自体もかなり強力な例外なので、ネオほどでなくても電流が強いことは考えられます。もちろん、二人の「愛」の力でさらに可能性が深まった(というか、引き寄せあう電流を持っているから愛し合った?)ともいえると思いますが。
 

先読み部分に「オラクルが人間の子供に「超能力」を教え込むことまで手を出すとは考えにくい以上、あれ(オラクルが世話をしていた子供たち)は「プログラムの子供」と考えるしかない。 」とあるが、あの子供たちは救世主候補の人間ではないのか?ザイオンでネオにキッドを通してスプーンを渡したのは、ネオにスプーンなんか無いんだと言った子供が、アノマリーとしてザイオンに救出された存在だと解釈できるが。
 
オラクルの所でスプーンを曲げていた子供らについて、ネオを案内した女性は「可能性」と言っただけで、人間とプログラムどちらの可能性なのか、あるいは、かれらが人間かプログラムかについては明示されていません。あの特定の子供=あんな小さな(自分の意志で選択させるには、という意味で)子供を覚醒させて、しかも即ザイオンに連れて来る(ネオと会ってから何年も経ってないですよね)という行為が、オラクルやモーフィアスの言動にそぐわないようにも思います。肉体的な危険性もあると思いますね、発育途中でジャックのメンテナンスはどうなるのだろう?とか。
あのスプーンの件は、むしろ、ネオがオラクルのところで見た光景をザイオンの「孤児」に話して聞かせた、という経緯が隠されているのではないかと思います(全くの想像ですよ。単純な脚本のミス、というのが私の本音です)。だからこそ、出かけるネオにスプーンを渡して、「あんたに教えてもらったスプーンは今でも大事なものなんだよ」と伝えたかったのではないでしょうか。 また、「孤児」という表現も、むしろ、Cas(Dozer未亡人)の子供たちを指しているとおもいます。KidとZee(Link)からCasの関係からも、モノを頼まれるのは自然そうですし。
 

「スプーン」(written by TOMO)
 
「じゃあ、どうしてマトリックスを見分けることができるの、そんなにそっくりなら?ここが現実だと、どうやったらわかるの?」
ネオは脅えたような子供の顔を見て、しまった、と思った。つい、あいてがまだ年端もいかない子供であることを忘れて、マトリックスの印象をそのまま話してしまった。マトリックスを理解するには、まず<現実>というものを把握していなければならない。さもないと、現実と非現実の区別がつかなくなって、夢想の世界に逃避してしまうことにもなりかねない。大人だって、適応できなくてVDTになっちまうヤツだっているんだから。なんて説明しようか…。そのとき、ネオはオラクルのところで会った少年のスプーンを思い出した。
「そうだね。きみはご飯を食べる時にスプーンを使うかい?僕の見たマトリックスの子供の一人は、スプーンをただ見ただけでグニャグニャに曲げたり、もとに戻したりすることができたんだよ。君にそんなことができるかい?」
「あなたはできるの、ネオ?」
「もちろん、マトリックスでなら。目の前にあるスプーンを見て、『それはそこに無い』と信じることでね。ほんとうに心の底から信じなきゃだめだよ、そうすればスプーンはどうにでもできるんだ、マトリックスでは、ね。」
そしてネオは子供の目を見て、強調するように言った。 「でもいいかい、ここが大事なんだけど、現実では、ぼくにもそんなことはできないんだ。マトリックスでするのと同じようにしても、現実ではスプーンが曲がったりすることはない。だから、ぼくはときどきスプーンで試してみるんだ。そして、どうやってもスプーンが曲がらなかったら、ぼくは現実にいるってことになる。わかるかい?」
子供は、近くにあったスプーンを取り上げ、じっとながめて言った。
「じゃあ、もしボクがこのスプーンを曲げることが出来たら、そこはマトリックス、ってことだね。」
「そうだね。でもその逆のほうがずっと大事だ。スプーンを曲げることができなかったら、それは現実だし、だったら現実として振舞った方がいい。きみがスプーンを曲げられない時、君は現実にいて、そこから逃げることはできないし、まっすぐぶつかって行かなきゃならないんだ。…約束してくれるかい、もし、君がいま現実にいるかどうかが解らなくなりそうだったら、すぐにスプーンを試してみるんだ、ぼくと同じように、必ず自分自身で。いいかい、約束だよ、君と僕との。」
ネオは、もう上の空で一心にスプーンを見つめている子供の頭をくしゃくしゃにしてから、ドアを出て行った。


むろん、オラクルが人間の子供の面倒を見ていた可能性は否定できませんが、オラクルはあくまでもプログラムですから、人間にそこまで(覚醒の手伝いまで)するとは考えにくかったのです。また、(これは後知恵ですが)サティの件も、プログラムの子供を引き取っていることを物語っています。
マトリックス(エージェント)は人間の例外を一応コントロールしようとしますし、それでもダメなら廃棄(排出)ですが、エグザイルはエージェントに発見されたら即消去でしょう。その意味ではマトリックス内での生存は人間よりはるかに厳しい訳で、多少なりともその価値を見いだしたオラクルが保護を与えるのはありそうなことです。そうした役に立たない機能は、オラクルにとっては選択の幅を広げる大きな要素だと思いますし。
ということで、オラクルにはプログラムの子供を養育する理由はあるが、人間の子供を教育する必然性は薄い、というのが私の見解です。
また、超能力行為ですが、マトリックス内の超能力は人間が行使するよりもプログラムが行使するほうが簡単(すくなくとも同じくらい)だと思いますよ。エージェントなんてアーキテクト公認の超能力使いですし、セラフの強さとかサティの朝焼けとか、いろいろあります。人間が行使するにはまず「覚醒」、すくなくとも「自覚」する必要がありますし、その自我認識はある程度の成熟度が必要なようにも思います(むろん個人差はありまそうですが)。
あと、最大の疑問は、ネオの救世主能力の有無を判断できるオラクル(マト1で「あー」とかいわせてますよね)が、潜在的救世主の子供を英才教育しているのなら、どうしてそっちから救世主が出てこなかったのか、という点です。たまたま間に合わなかったとか、オラクルの予想範囲外がネオだったとか、可能性はありますが、わたしにはしっくりきません。
 

Restartの「N.K.の肉体に眠る遺伝子に刷り込まれていたネオの能力を...」のくだりは、N.K.がネオの子孫だということなのか?
 
直接の血縁関係はありません。でも、キッドは遺伝子操作された可能性の高いマトリックス覚醒組ですから(それもネオ直々に助け出している)、その子孫であるN.K.はネオと同じ(あるいはそれ以上の)遺伝子要素を持っていた、ということです。「人間の能力を高める努力」は機械でもやっぱり試行錯誤の繰り返しなんです。

「遺伝子に刷り込まれていたネオの能力」というのは、具体的にいうとどういうものか? 
そうですね、神経回路、とくに思考を司る脳内神経のスピードはかなり速くなると思います。ただ、現在でもコンピュータの情報を伝えるスピードは、人間の脳より何百万倍も速くときいていますから、単純な肉体的処理速度の向上だけでは追い付かないかもしれません。しかし、処理能力という点では、単に伝達スピードだけでなく、処理アルゴリズムが大きくモノをいうと思います。シングルタスク、マルチタスク、マルチスレッド、並列処理、量子処理、そういうアルゴリズムもすべて同じ電子の流れで構成されている訳ですからね。その意味で、アルゴリズム、あるいはそうした「アルゴリズムを学習する能力」が向上する、ということの方が重要だと思います。
また、もう一つのネオ要素、電流の読み取りと書き込みについては、完全に物理的な生体能力ですから、電流/電波/電子に対する感覚の増強(冬になると静電気が気になるあなた!あなたこそネオの祖先かも)といった遺伝子改造はあるでしょう。書き込みも、生体エネルギーの開発の時点で何らかの要素が発見されていると考えてもいいのではないでしょうか。
 

Restartで、サティが美しく成長しているとなると、スミスは脱毛がかなり進行しているのだろうか、パーセフォニーはお婆さんになっちまってないだろうか等、他のプログラムが気になるのだが。
 
マトリックス内での容貌は、人間の場合は肉体感覚の影響が大きいのですが、プログラムの場合は、その「成熟度」が年齢パラメータとして大きく影響します。したがって、元気なスミスくんはそのまま、お盛んなパーセフォニーはちょっと倦怠感が見えて小じわが増えた(笑)程度、というイメージですかな。
私の設定では、プログラムの成熟度(機能の安定、洗練、システムとの統合、蓄積されたデータ、あるいは他のプログラムとの相対的なもの)に応じて外見も変わるということになっています。オラクルの外見が変わったことも、そうした要素に変更が加わったからと理解しています。
わたしの設定では、「プログラムの成長」というテーマはかなり大きな意味があります。単に機能コンポーネントとして完成品がすでにある、という前提には立っていません。むしろ、なにもないところからその機能をどのように構築・実現し、さらにそれをどのようにシステムに統合して効率良く動かすか、という過程を「誕生と成長」というアナログで表しているのです。ちなみに、「オラクルがプログラムの子供を育てている」というのは、もちろんプログラム機能そのものの育成もありますが、本来マシンシティのものであるプログラムをマトリックスに適応させ、その機能をマトリックスに組み込む(あるいは紛れ込ませる)過程と考えています。
最近のプログラム言語はわかりませんが、昔はすべて白紙から書き起こしていました。ライブラリなどという出来合いのブラックボックスはなかったのです。いまのライブラリだって、結局はどこかで誰かが書いているんですよね?わたしの視点はそこにあります。

 


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2004.1.29